みやき町の東寒水交差点。この辺りで「彦山ガラガラ」は焼かれた

 佐賀から彦山に向かう道筋に三根郡寒水(しょうず)村(現在のみやき町)があり、ここでは彦山土産の土鈴「彦山ガラガラ」が作られていた。

 1185(文治元)年、壇ノ浦で平家一門が滅亡して4年後の文治5年、源平の戦いの残り火の合戦に見舞われた彦山では「神器」を土に埋め、肥前国三根郡綾部にいた奥平孫太夫に命じて神器の「駅鈴(えきれい)」に模した「土鈴」を作らせる。

 その後、彦山を参詣する者は寒水の土鈴を持参し、神前に供えて霊力を得た土鈴を持ち帰り、田の水口(みなくち)に埋めて田の守りとした。

 素焼きの土鈴が神器の代わりになるのは、土器が「土師器(はじき)」と呼ばれ、神の食器・酒器として神事に使われたためである。

 戦国時代、出陣の酒も素焼きの杯で飲み干し地面に叩(たた)きつけて破壊した。鳥栖市牛原の勝尾(かつのお)城からもろくろで成形した素焼きの杯が数枚セットで出土しているが、大友宗麟が居住した大分の「府内館(ふないやかた)」からはろくろを使わない、手びねりの杯が出土する。京都を中心とする地域で使われた杯は手びねりであり、より素朴な土器が神事に用いられた。

 寒水に近い白石焼の窯は昭和40年代まで素焼きの器を作っていて、鳥栖駅のうどんは白石焼の素焼きの丼で売られていた。白石には神の器を作る集団がいた可能性がある。

(鳥栖歴史研究会常任講師)

このエントリーをはてなブックマークに追加