豪潮律師が造ったと伝えられる宝篋印塔=基山町園部の大興善寺

 基山町園部の大興善寺のツツジ園に入ってすぐ左手に、名僧豪潮(ごうちょう)律師(りっし)(1749~1835年)が最初に造ったと伝えられる「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」がある。

 宝篋印塔は中国の五代十国の一国、呉越国の国王、銭弘俶(せんこうしゅく)(929~988年)が建立した金銅製の八万四千(はちまんしせん)(仏教で多数あるいは無数を意味する語)塔が原初とされる。宝篋印陀羅尼(だらに)という呪文を塔内に納め、これを礼拝することで罪が消え、苦を免れ、長寿を得るとして信仰された。

 日本でも平安後期から造られ、鎌倉中期には石造りの供養塔、墓碑などに代わり、呪文の有無にかかわらず宝篋印塔と呼んだ。

 発願主である豪潮律師は肥後国玉名郡(熊本県玉名市)にある浄土真宗安養寺の子院「専光寺」に生まれた。16歳で比叡山に登り、28歳のとき玉名の繁根木山寿福寺の住職になった。

 1802(享和2)年、54歳の豪潮は当時の社会不安を取り除き、平和をもたらそうと八万四千塔の建立を発願、大興善寺に最初の塔を建立した。その後、各地に2000有余の塔を造り、尾張国春日井郡時雨庵において遷化(せんげ)した。87歳だった。

 基山町教育委員会は1973(昭和48)年、宝篋印塔を重要有形民俗文化財に指定した。

(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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