鉄絵を描いた施釉陶器。登り窯で大量生産し日本全国に運んだことにより、施釉や筆による施文を他の産地にも促した

■施釉や筆の施文が一般化

 文化とは「人間が自然に手を加えて、それが組織・集団の中で共通の価値を共有できるもの」とでも位置づけられるだろうか。個人が個人的価値を有しているだけでは、それは単なる趣味や嗜好(しこう)であり、文化とは言えない。

 その中でも、日本の陶磁文化は、1万数千年前に自然にある土を焼いて、今日では縄文式土器と称される日本で共通の価値を生み出したことにはじまる。また、農耕を中心とした定住生活のはじまりは、重いものを身近に多く置く生活を可能にし、やきものも用途別に器種分化が図られた。その後、節目ごとに中国や朝鮮半島の技術や意匠を導入しながらも日本文化の中で消化し、独自の陶磁文化へと発展させたのである。

 素材としてのやきものは、土味や釉薬、絵の具などの差のほか、立体的な造作が可能で、表現力を発揮しやすく、創作領域の拡大が容易な特徴を有している。また、手取りの重さも価値の重要な要素となるような作品や製品は珍しい。

 ただ、この日本のやきもの文化も、鎌倉・室町時代頃の中世までは、ごく一部の高級陶磁を除けば、無釉の実用陶器が主体で、機能的価値に重点が置かれていた。しかし、大陸の技術を基盤とする肥前の近世窯業により、施釉や筆による施文の一般化が進み、美術的価値の大衆化が図られ、現代に至るのである。こうした点もあまり知られていないのだが、肥前陶磁の大きな功績のひとつである。

(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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