妻を殺害後、夫が自殺を図った中川。鉄道橋から飛び込んだとみられている=鹿島市

■周囲の支援「どうすれば」

 新築同様にリフォームをしたばかりだった。介護を苦にした殺害事件の現場になった鹿島市の民家。被告の夫(70)は、車いすの妻=当時(71)=が移動しやすいように、庭の生け垣の伐採やブロックの段差をなくす準備もしていたが、手つかずになった。

 大阪から夫婦で引っ越して1週間後、夫が妻を絞殺し、自らも川に飛び込んで自殺を図った。「新居を用意して、これからだったのに…」。地域住民の間では事件から3カ月余りがすぎても疑問が消えない。

 夫婦の暮らしが大きく変化したのは20年ほど前にさかのぼる。鹿島市で2人で暮らしていた1995年、妻が事故に遭い、体が不自由になった。50代を目前に夫は仕事を離れて介護に専念し、家事や排せつの世話まで献身的に支えた。夫婦を知る女性は、「不満や愚痴は一切口にせず、夫として支えるのは当然と思い、1人で背負い込んでいたみたい」と振り返る。

 行政の定期的な意向調査でも、夫から特に要望はなかった。ただ、くだんの女性は推し量る。「年を重ねて体力が落ちるにつれ、心細くなり、不安も募ったでしょうね」。夫は妻の体を何年も抱え続けていた。60歳を超えた夫婦は09年、介護の支援を頼って妻の故郷の大阪へ移った。

 妻は介護施設の生活になじめなかった。7年ほど夫婦で転々とした末、再び鹿島市に戻り、在宅介護を選ばざるを得なかった。引っ越してきた夫は、周囲が驚くほど疲れ切った表情を見せていた。病院でカウンセリングを受け、「妻としばらく離れた方がいい」と助言された。将来の見えない介護は、老いが着々と進む夫を追い詰めていた。

 地元では、夫への同情が広がっている。支えようとした人の中には、「どうすれば救えたのだろう」と自問を続ける人たちもいる。親類の一人は「あの時、気付いていたら、こうしていたら、という思いは今も頭をよぎる」と苦悩する。

 介護に悩む家族に、行政や地域はどう手を差し伸べたらいいのか-。社会の側に問い掛けられた課題は、今も漂っている。(山本礼史、円田浩二)=おわり

■鹿島介護殺人事件 鹿島市の民家で9月上旬、体の不自由な江口ヤス子さん=当時(71)=が首を絞められて殺害され、夫の末秋被告(70)が介護を苦に無理心中を図ろうとしたとして殺人罪で起訴された。年明け以降、佐賀地裁で裁判員裁判で審理される。

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