錆谷窯跡からの出土品

 武雄地方で産業として焼き物が作られるようになるのは16世紀末の文禄・慶長の役の際、武雄領主が連れ帰った朝鮮陶工が窯を開いてからのことです。

 現在市内には90カ所の窯跡があり、全国でも有数の集密度を誇ります。

 市内の古窯跡は、古いものは400年以上、比較的新しいもので200年前ぐらいに築かれたと考えられます。200年の間に、良質の陶土と窯を築く立地条件の備わった場所を探して移動したようです。

 焼成用の燃料である薪(まき)も、移動に際しては見逃せない条件であったと思われます。近くの山の立木が伐採し尽くされると、燃料補給の距離が遠くなり、労力のロスが大きくなったからです。

 古窯跡の中でも市北部、黒牟田系の土師場物原山(はじばものはらやま)と錆谷(さびたに)窯跡、内田系の小峠(ことうげ)窯跡と大谷(たいたに)窯跡の4カ所は比較的残存状況が良好で、陶器窯跡として代表的なものとして、1940(昭和15)年に国の史跡「肥前陶器窯跡」に指定されています。

 土師場物原山とは窯で焼けた不良品を捨てたところで、約110メートルにわたって小山状に堆積しています。製品には黒釉(ゆう)や青釉の土瓶などがみられます。江戸時代中期から後期のものが多いようです。

 三つの窯は17世紀初頭から後半ごろに操業し、主として陶器が作られました。小峠では磁器の生産も試みられました。

 武雄市図書館・歴史資料館では、武雄の古いやきものの魅力をあらためて見直す企画展「古武雄-武雄のやきもの再発見-」を15日から開催します。(武雄市図書館・歴史資料館 一ノ瀬 明子)

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