最大震度7の激しい揺れが2度も起き、甚大な被害を出した熊本地震の発生から、きょうで半年となる。家屋倒壊や土砂崩れなどで50人の命が奪われ、避難生活の長期化などが原因とみられる関連死も55人に達している。熊本地震を教訓に大災害とどう向き合うべきか改めて考えたい。

 余震は今月も続き、この半年で4千回を超える。震度7の激震がいずれも深夜で、被災者が建物の中で眠るのが怖いと車中泊が多かったのが熊本地震の特徴だったと言えよう。ピーク時は避難者が18万人を超え、避難所不足だったこともある。寒さをしのぐことができ、家族で安心できる場所が車の中しかなかった事情もある。

 ただ、窮屈な車中泊で血のめぐりが悪くなり、エコノミークラス症候群で死亡する人が相次いだ。本来は失うことはなかった命だったことを考えれば、安心できる避難所の運営が、次の災害への対策として重要だろう。

 内閣府は熊本地震の初動対応を検証している。そこでは情報収集がなぜうまくいかなかったか、興味深い分析をしている。

 例えば、被害が大きかった熊本市の状況把握が最初は困難だった。通常の行政事務では熊本県と政令市の熊本市は“並列”の関係であり、今回の地震では県が指示し、市が情報を上げるという“直列”の関係がすぐには築けなかった。緊急時には役割分担を明確にすべきと指摘している。

 ツイッターやフェイスブックなどSNSのネット情報は本来貴重なものだ。しかし、膨大な情報が寄せられ、東京で収集して現地の対策本部に伝えた。このため、時間がかかりすぎて、役に立たなくなった情報も多かったという。

 結局、どこにどれだけの避難者がいるか、最初は十分に把握できていなかった。隣県に設けた支援物資の物流拠点に多くの食料が届いていたことを考えれば、助けを必要とする人たちに迅速に届けられなかったことは残念だった。

 複数の機関が同じような調査報告を、多忙な被災地の職員に求めたために現場が混乱したという指摘もある。情報収集を一元化し、関係者の誰もがその情報にアクセスでき、支援活動に使えるシステムを今後に向けてつくる必要があるだろう。

 一方で、被災地の復興は徐々にではあるが進んでいる。5カ月ほど続いた南阿蘇村の山間部の断水が解消したり、阿蘇山登山道が仮復旧する様子を地元紙の熊本日日新聞が伝えている。

 同紙はまた、避難所や給水、災害ごみの情報も連日紙面に掲載している。暮らしの影響はまだ続いているということだ。益城町や南阿蘇村など甚大な被害を出した地域では倒壊したまま手つかずの家屋は多い。避難所は今月末にも閉鎖できる見通しというが、被災者は仮設住宅に移っただけだ。安住できる家が早く見つかるように住宅再建の支援に力を入れたい。

 復興に向けては主要産業である農業や観光がけん引役となるはずだったが、先日の阿蘇山噴火が水を差した形となっている。温泉客のキャンセルも出ており、地元の試練は続く。

 復興の道のりは長い。それでも、いつかは以前の熊本、阿蘇を取り戻せるように佐賀からも息の長い支援を続けたい。(日高勉)

このエントリーをはてなブックマークに追加