村上春樹の小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で、米国人歌手ボブ・ディランの歌が重要な場面で出てくる。物語で少女が主人公にディランについて尋ねると少し考え、「かすれた声の歌手だよ」とだけ答えた。あまりに思い入れがあると、ついそうなるのだろう◆この2人がノーベル文学賞で結びつくとは思わなかった。民間予想で“本命”の村上春樹でなく、ディランが選ばれた。同賞の長い歴史で歌手は初めてで、世界に影響を与えた「偉大な詩人」というのが選考理由だ◆名曲『風に吹かれて』は黒人差別をなくす公民権運動が盛んな1963年に発表された。「人はどれだけ耳があれば悲しみの声は聞こえるのか」と権力者に問いかける力を与えた。「どれほど砲弾が飛び交えば殺戮(りく)はやめさせられるのか」。ベトナム戦争が泥沼化したときは平和の歌として人々をつないだ◆あれから半世紀。米ソの冷戦は終結したが、テロや内戦など戦争の形は変わり、人命を奪い続けている。今回の選考は歌詞に込められたメッセージが今の時代にも求められているということだろう◆私も村上春樹の小説でボブ・ディランを知った一人。今年も受賞を逃したのは残念だったが、彼が相手なら納得できる。負け惜しみでなく、楽しみに来年のノーベル賞発表を待ちたい。(日)

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