九谷焼技術者自立支援工房の個室工房。奥には窯も備え、自由に創作ができる環境を整えている=石川県能美市

■自立支援若手に夢を 

 12畳ほどの「レンタル工房」で、女性が素焼きの器に筆を走らせていた。静かな室内の至る所に制作中の器が並び、奥には背丈ほどの窯がのぞく。同じ棟に同様の個室が別に4室あり、常に借り手がついている。

 石川県の小松空港から車で20分。日本海へと延びる平野と白山連峰に連なる丘陵地を抱く能美市は、360年にわたる九谷焼の歴史を伝える中心産地だ。

 貸し工房は2001年、県が建設した。「ここを使って36人が作家や職人になっている」。施設を管理する九谷焼技術研修所の松島一富所長は誇らしげだ。「自立支援工房」の名の通り、研修所を巣立った若手が自前の工房を構えるまで安く貸し出し、独り立ちを後押ししている。

 「商社が仕事を与えないと職人も育たない」-。商人を頂点とする分業制に支えられてきた九谷には、そんな共通認識がある。職人を大勢抱える窯元も珍しくない有田とは異なり、九谷ではほとんどの窯元や上絵職人が家族経営の規模。仕事を取ってくるのも商品を売るのも商社任せだった。

 バブル崩壊後、有田と同様に売れ行きが低調になり、商社からの受注が減った窯元や上絵職人は、弟子をとる余力を失っていった。

 貸し工房は、人材づくりを補う手だてであると同時に、生産や開発を下支えする拠点になろうとしている。松島所長は「職人の下でアルバイトをしたり、商社からの発注を請け負ったりして、業界を支えている利用者もいる」と話す。

 能美市には作家志望の若者が次々と門をたたく製陶所がある。40年ほど前に創業した「青窯(せいよう)」で、最年長でも39歳という若い陶工12人が、デザインから絵付けまでを手掛けた食器を販売し、東京のセレクトショップを中心に人気を集める。

 6年目の三宅英雄さん(28)は伊万里市の窯元の次男。「ほかの産地で学んでこい」という父親の勧めもあり、京都の大学を卒業後、青窯に入った。

 「1年目でもどんどんろくろを引かせることに父が驚いていた。『有田にそんな環境はない』って」と三宅さん。商品作りも販売先の開拓も陶工に手掛けさせるのが秦耀一社長(71)の育成方針だ。「伝統的な九谷とは異なるけれど、食べていく手段を見つけるのが第一。雑巾がけも大事だが、30歳ぐらいで家と工房を建てられる程度には稼げる実感がないと、若手も夢を描けない」と持論を語る。

 作家に限らず、職人を育成するにしても、経営感覚を育むことが重要だと考えている。「優れた工業製品も次々に出てくる。競うためには技術だけじゃなく、需要を見極める力や売る力も、今の人材育成には不可欠な視点だと思う」。業界の現状をこう見据えている。

 ■九谷焼 石川県南部の加賀、金沢、小松、能美の4市で生産される磁器。明暦年間(1655~1658年)に大聖寺藩の初代藩主前田利治が陶業を興したとされる。江戸後期に加賀藩営で再興し、五彩、赤絵細描、金襴手(きんらんで)などの技法が発展。明治期には欧米に輸出、大物美術工芸品を中心に「ジャパンクタニ」と呼ばれた。その後、釉薬の下に金箔(きんぱく)を貼る釉裏金彩などの技法も生んだ。

=有田焼400年・未来へ挑む=

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