有田焼や唐津焼の作家が用意した器で創作料理を味わう「ダイニングアウト」の参加者=10日夜、唐津市鎮西町の肥前名護屋城跡

 北部九州に焼き物文化が広がるきっかけになった地がにぎわいを見せていた。

 豊臣秀吉が「文禄・慶長の役」で拠点にした肥前名護屋城跡(唐津市鎮西町)。この国特別史跡で10月、野外レストラン「ダイニングアウト」が3日間限定で催された。有田焼や唐津焼作家がこの日のために創作した器で、若手有名シェフの料理が振る舞われた。首都圏からツアーで訪れた実業家の40代男性は感じ入っていた。「有田、唐津の素晴らしさを再認識した」

 有田焼創業400年の節目の年、焼き物産地の広域的な振興を目指す動きが続いている。佐賀、長崎両県に広がる焼き物産地「肥前窯業圏」は4月、国の「日本遺産」に認定された。点在する窯跡や建造物を「日本磁器のふるさと」と位置付け、情報の発信や観光客の周遊を促している。

 両県と関係8市町でつくる活性化推進協議会が、PR戦略や取り組みの中身の検討を始めたが、佐賀県文化課の永田辰浩係長(45)は「日本遺産の認知度はまだまだ。世界遺産のようにたちまち交流人口の増加とはいかない」と受け止めている。各産地の焼き物の魅力や観光資源を理解し合うところからが出発点で、ある市の担当者は「認定されて終わりにならないようにしないと」と漏らす。

 「窯業圏」というくくり自体がなじみが薄い。「日本磁器のルーツ」として認定に加わった唐津焼は有田焼同様、全国的な知名度はあるが、両者の連携は進んでこなかった。唐津焼の振興プロジェクトに関わり、陶芸家でもある佐賀大学芸術地域デザイン学部の田中右紀教授(51)は指摘する。「長く途絶えていた唐津焼が本格的に作られるようになったのは戦後。個人作家の集団というのが実態で、産業として確立した有田とは接点が乏しかった」

 2012年に始まった「唐津やきもん祭り」は、有田との連携を目的の一つに掲げる。「せっかく二大産地があるのに『焼き物の佐賀県』を打ち出せていなかった」と実行委員長の坂本直樹さん(52)。有田陶器市と同じゴールデンウイーク期間中に開き、産地間を「はしご」できる仕組みを整えようとしている。

 日本遺産認定を機に連休中、活性化推進協が運行した有田、伊万里、唐津を巡る無料周遊バスは7日間で866人が利用した。5日間走った長崎・波佐見を通るルートの486人を上回り「潜在的なニーズは多く、連携はさらに深められる」と坂本さんはみている。

 唐津市は4月、商工ブランド課内に唐津焼振興室を新設した。食や自然など豊富な観光資源の魅力もPRできないか模索する。肥前窯業圏に関わる文化庁からの予算措置は3年。安岡敏朗係長(44)は強調する。「補助金がなくなったら終わりではなく、何を形として残せるかが大事になる」

 ■肥前窯業圏

 「九州北西部の肥前で誕生した日本磁器が、各産地で切磋琢磨(せっさたくま)しながら個性際立つ独自の華を開かせていった」という物語性が評価され、「日本磁器のふるさと肥前」として日本遺産に認定された。圏域は佐賀、長崎両県にまたがり、有田町、唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、長崎県の波佐見町、佐世保市、平戸市の8市町に及ぶ。窯跡や町並み、工芸技術、焼き物市など35の文化財で構成されている。

=有田焼400年・第5章=

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