有田の町では有田焼創業400年事業が佳境に入った。日本磁器400年の歩みと美を紹介する特別展「日本磁器誕生」が始まり、22日には国内外の関係者を集めた記念式典が開催される。低迷する産地をどう再生し、発展させるのか。簡単な話ではないが、論点をもう一度整理し、100年後の「ARITA」につなげたい。

 佐賀新聞では1982(昭和57)年、「悩める有田」という連載を掲載した。戦後のベビーブームが落ち着き、結婚・新築が減り始め、レジャーの多様化で宴会や宿泊などが減少、売り上げに陰りが出始めたころのことだ。

 当時、有田焼は消費が一巡し、家庭に焼き物が眠る「押し入れ産業」と揶揄(やゆ)される。それでも有田特有の分業制による焼き物づくりが、農家の「かあちゃん、じいちゃん、ばあちゃん」の安い労働力に支えられ、なんとか不況のショックを和らげてきた。ただし、今ではその農家人口も減り、有田焼製造の環境は激変している。

 連載から34年になるが、当時の課題が、現在も同じように指摘されていることにいまさらながら驚く。列挙すると次のようになる。

 ①ガス窯の大量生産の過程でおろそかになったデザイン開発②市場調査と公的機関との連携不足③手頃な価格の洋陶の伸びへの対応④職人養成の怠慢と若手育成⑤当時すでに急成長していた隣町・波佐見の分析⑤ニューセラミックスなど新素材への参入支援⑥海外市場進出への戦略-。これに今の視点を加えるなら、有田の景観を生かした観光戦略の構築だろう。

 有田は、その歴史と伝統ゆえに、新たな価値を創造する工夫や脱皮への努力が不足してきたかもしれない。消費者との隔たりがあったとすれば、まず市場がどんなものを求めているかを知らなければならない。それ以上に、有田が一つになって、この難局に取り組もうとしているのかどうか。行政の取り組みをチェックする議会もバラバラではどうにもならない。

 事業規模などにより大衆性重視か高級路線かの違いはあるが、それぞれの方向性を決めるにも、綿密な市場調査、それに基づくデザインの追求と価格の設定、公的機関による業界への支援と連携は不可欠である。

 海外市場への進出、特に米国の市場開拓は重要なポイントになるが、もともと日本とは文化が違う。四季折々の食事を器を愛(め)でながら楽しむという文化は米国では一般的とはいえない。海外だけでなく、日本人もライフスタイルが変わってきた。和洋折衷、いずれにも合うシンプルなデザインが好まれるようになった。その嗜(し)好性をどう捉えるか。機能美、使い勝手、そして何よりも豊かな気持ちになれる器とは何か。

 人材育成は今春スタートした佐賀大学の「芸術地域デザイン学部」の役割に大いに期待する。有田窯業大学校を4年制化した「有田キャンパス」では、波佐見のように若い人が集い、地元の業界と一緒になって自由な発想を育む場になってほしい。いずれも息の長い持続的な取り組みが必要だ。

 有田では23日、有田皿山まつりがある。美空ひばりの歌う「有田チロリン節」が発表されて半世紀。100年後も町民総出の皿踊りが、秋空の下で続けられていることを切に願う。(丸田康循)

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