自社の持ち味をさらに高めた新作の猪口(ちょこ)を持つ福珠窯社長の福田雄介さん=西松浦郡有田町の福珠窯ギャラリー

■若い視点で次代の事業

 「景気が悪いから、好きじゃないと続けられないよ」。有田町の窯元「福珠(ふくじゅ)窯」を継ぐ相談をした福田雄介さん(34)は、父親からこう諭された。東京でデザイナーとして10年働いた息子が、安定した収入を手放すことを案じる親心がにじんでいた。それでも福田さんは電話越しに覚悟を伝えた。「このときのために高校時代から準備して、外で経験を積み重ねたんだ」

 1990年をピークに売上高が減少し続ける有田焼業界。展望が描きづらく、経営者は跡継ぎを呼び寄せたがらない。好景気のころに導入した焼成窯が老朽化し、更新のための投資が必要になっていることも二の足を踏む背景にある。

 有田町の陶磁器製造業の従事者数は2012年で1133人。ピーク時の1991年から3分の1に減った。新規採用を控えたため職人の高齢化も進んだ。3年前の春に帰郷した福田さんに、仕事を一から教えてくれた職人の大半が50代だった。「定年後も働いてもらえるように頼んでいるけど、体力的な問題もあるし…」。技術習得に歳月を要する産業だけに、若手の育成は急務になっている。

 7月に社長に就任したことを受け、「有田焼の常識を覆そう」と考えている。社長が考えたデザインを基に職人が製造するのが一般的だが、「職人にもデザインを任せたい」。同じものを速く正確に作る技術が重視されてきた職人像を変えようとしている。「機械の精度が上がった今、求められるのは付加価値を共に生み出せるかということ」。建築事務所や美容品会社で、チームで取り組んできた経験から浮かんだ発想だ。

 昨年に視察した新潟県の銅器メーカーで見た光景が忘れられない。定時に仕事が終わると、工房が開放され、全員が自らの作品づくりに挑んでいた。「若手とベテランがライバル心を燃やしていた。実験的なものづくりを楽しみ、活気があった」。こうしたやりがいが、優れた若い人材を集め、次代への事業にもつながる手だてと信じている。

 有田焼創業400年という節目に立ち会うようにUターンした後継者たちは、さまざまな分野で構造改革に手をつけ始めている。

 父親が経営する商社「まるぶん」へ15年春に入社した篠原将太さん(27)は、従来の消費地問屋と料理店だけでなく、高級家具業界に食い込もうと展示会に参加してきた。既に「究極のラーメン鉢」を愛知県のインテリアショップに納めることに成功している。

 東京のジュエリー販売会社に勤めていたころ、商品管理を担当した。「コストを考え抜いた商品開発や化粧箱の規格統一とか、有田で応用できることはたくさんある」。若い視点は伝統産業の足元を見つめ直し、新たな道しるべになろうとしている。

■究極のラーメン鉢

 有田焼窯元14社が2004年に開発した。インスタントラーメンをおいしく食べられる形状を、日清食品やラーメン博物館に話を聞きながら考案した。古典からモダンまで約120の絵柄があり、1月には地元の泉山陶土を使った新商品も登場した。大ヒットを放ち、酒器と食器の人気シリーズ「匠(たくみ)の蔵」など、複数の窯元と商社の共同開発プロジェクトの手本になった。

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