瀬戸口寛子さんの父親の富右ェ門さんが制作した菓子皿。外側の黒が、サザンカ文様を引き立てる

父親の作品を前に思い出を語る瀬戸口寛子さん=西松浦郡有田町の富右ェ門窯

富右ェ門さんによる急須やとっくりのデザイン画

■父が残した菓子鉢 お気に入り 来客時は必ず

 父の十一代瀬戸口富右ェ門は厳しくて繊細な人でした。とにかく仕事が第一。寝ても覚めても焼き物のことばかり考えていたようで、新しい技法や釉薬(ゆうやく)にも積極的に挑戦していました。白磁や色絵が特徴の有田焼の中で、この黒い菓子鉢は発売当時、特に珍しかったことを覚えています。

 父は若いころ、実用品でなく、芸術品を手掛ける作家を目指していたと聞きました。しかし、先代である祖父の猛反対に遭い、有田町の富右ェ門窯の跡を継ぐことを決めたようです。江戸時代からの歴史ある窯だったし、仕方なかったんでしょうね。でも、父の作家性というか独創性は、その後の製品に反映されたと思います。

 父は本当に仕事が頭から離れなかったようで、例えば私の洋服を買ってきてくれても、選ぶのは幼い女の子らしくない紺色ばかり。呉須の色ですよね。私は「ピンクやフリルが付いた服が着たい」とちょっぴり不満でした。旅先で買ったポストカードを見せても、その絵柄をデザインに取り入れることができないか考えている様子で、家族であきれていましたよ。

 2002年に父が亡くなった後、倉庫の中を整理すると、さまざまな試作品が出てきました。初めて見るものも多く、こんなに作っていたのかと正直、驚きました。当時はあまり焼き物に関心がなかったので、父の仕事を見ているようで見ていなかったんでしょうね。中には梅の花をモチーフにしたデザインとか、かわいい図柄もあります。今の若い世代に受けそうな作品もあり、気に入ったものは個人的に使ってます。

 この菓子鉢は昭和50年代に商品化され、人気だったようです。特徴は黒色が持つ独特の高級感。内側は有田焼らしく、濃(だ)みと染錦の技法でサザンカが3輪、描かれており、伝統と新しさが一体になったデザインが好評だったみたいです。父もお気に入りだったようで、お客さんに振る舞うお菓子は必ずこの器に入っていました。うちでは現役で、来客用に使っていますよ。

 焼き物以外にも手書きのデザイン画がいくつも残っていますが、いま見ても大胆な構図や色彩感覚が面白く、迷いなく描いている筆運びも印象的です。

 私は、ある窯元で絵付けの仕事をしていますが、この世界を知れば知るほど、父が焼き物に込めた思いに近づけるような気がします。窯を再興するために頑張っていますが、父が残した器を見ながら、もっといろいろ話をしておけばよかったと思っています。

=余録= 新たな息吹

 JR上有田駅そばにある富右ェ門窯は、享保年間(1716~35年)に鍋島藩の御用窯として築かれたと伝わる。優雅できらびやかな格調高い作風が特徴とされ、料亭などで使われる高級食器の窯元として愛好家らに知られていた。

 だが、十一代当主の急逝に伴い、2002年に操業を停止した。工場内には作りかけの器が数多く残され、時が止まったような雰囲気が漂う。代わりに当主を務めている瀬戸口寛子さんは、この空間をコンサートやイベント会場として生かしており、若い世代が訪れるようになった。

 「将来的には窯を再興したい」と話す瀬戸口さん。若い力が、再スタートに向けて新たな息吹を与えている。

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