長崎街道田代宿の北口、田代昌町にある道標の「追分石」。右の小道が彦山道=鳥栖市

■土鈴携え彦山参詣

 初めは寒水(しょうず)(みやき町)で焼かれて売られていた土鈴「寒水ガラガラ」は、各地から彦山に参詣する人々に求められ、彦山で販売されるようになる。

 江戸時代の末、ガラガラは彦山に近い豊前国田川郡香原(かわら)(田川市)で作られ、明治時代には同じく豊前の京都(みやこ)郡久保(行橋市)や地元彦山村の上落合でも焼かれるようになり、明治20年代(1880年代後半)になると、寒水での生産は途絶えてしまう。

 ともあれ、肥前からの参詣者は「寒水ガラガラ」を手に彦山に向かった。

 寒水から東に行けば千栗八幡宮、北に進めば中原村に出る。だが、前に述べたように筑後川を渡らないとすると、両方の道は養父(やぶ)郡の村田(鳥栖市)で合流し、基肄(きい)郡の田代に出る。

 江戸時代の宿場町、長崎街道田代宿の北口、田代昌(しょう)町に道しるべの「追分石」がある。ここは江戸時代に整備された長崎街道と戦国時代の牛原勝尾城(同)と秋月古処山城を結ぶ道が交差する場所であり、石には「ひだり・こくらはかた/みぎ・ひこさん」と刻まれている。

 現在も国道500号は田代を起点に福岡県小郡市を経て秋月に向かい、小石原峠を越えて彦山に至り500号は終わる。

 鳥栖市田代地区は古くから九州の南北道と東西道が交差する場であった。(鳥栖歴史研究会常任講師)

このエントリーをはてなブックマークに追加