2011年の東日本大震災で、3月の東京コレクションが自粛された。それまでの半年間が水の泡になっただけでなく、震災以降、服そのものも売れなくなった。

 東京コレクションの同期など、デザイナーを辞める人が相次いだ。「明日はわが身」と感じた田代さんは、多額の費用がかかるショーにリスクを感じて、震災を一区切りに参加を中断した。ほかのことはできないかとアジアに目を向け、3年ほど中国やベトナム、タイなどで服を売ったり、ラオスでファッションショーを開催したりした。

 海外を経験し、自分が日本人であることを実感するようになった。「洋服は日本のものではなく、海外からきた文化。日本人デザイナーとして何ができるだろう」-浮かんだのは“着物”だった。「伝統工芸品のイメージがある着物をファッションの域へ」と、家庭でタンスの肥やしになった着物を解体し、ドレスやワンピース、パーカにする「KIMONO-DRESS PROJECT」を開始する。

 構想から2年、今年9月にアメリカのニューヨークで展示会を行うと、“和の洋服”は現地で目をひき、新たな取引先も見つかった。「海外での反応は面白かったが、やっぱり日本人に着てもらいたい」と意気込んでいる。

◆ファッションに浸れる場所を

 東京コレクションデビューから10年。今年5月に、唐津市呼子町の穏やかな潮風が流れる港町に拠点を移した。「ファッションの究極は衣食住」と、起きてから寝るまで、さらには食器やインテリアまで自分のファッションに浸れる場所を求めた。発信する側として、人としてまっとうに生き、物作りに最適な環境がより質を高めると考える。

 着る人の顔が見えない大量生産に見切りを付け、「これからは着る人の顔が見える服を作っていきたい」と1日1着のペースで着物を洋服にしている。

1.Visitor.008 田代淳也(ファッションデザイナー)

2.ガスの配送員から服作りへ

3.日本最高峰の舞台へ

5.クリエイターを目指すみなさんへ

人と共に成長する服

このエントリーをはてなブックマークに追加