屋根の形式はくど造りで、強風にも耐えられるように工夫されている=佐賀市西与賀町元相応

■強風耐えるくど造り

 元相応は佐賀市西与賀町の東部に位置し、東与賀町と接しています。

 慶長、正保、元禄の絵図には村名の記載がなく、慶長年間(1596~1615年)のころの海岸線と考えられます。その後、沖積と干拓によって陸化され、耕地化されたものと考えられます。

 元相応は西与賀町の相応津の東にあって、戦国末期まで小津江の河口の潮待港の役割を持っていたものと思われます。その後、本庄江に沿った相応津にその役割を奪われ、内陸は水田化し、農業が盛んに行われるようになりました。文化14(1817)年の郷村帖には与賀下郷元相応とあり、明治初年には、高太郎村となり、のちに西与賀村となり、歴史の変遷を知ることができます。

 横尾家は元相応の中ほどに位置し、屋根はかつては麦わらぶきでしたが、近年はトタンぶきにふき替えられています。屋根の形式は棟をコの字型にした形式で、佐賀地方では一般にくど造りと呼ばれ、佐賀市南部の代表的な民家の形式です。

 元相応地区は西与賀の南部で、比較的有明海に近く、強風に耐えられるようにしたためという説があります。防風林や屋敷林などがなく、強い潮風や台風時には四方から強風が吹き付けるため、こうした時にくど造りが耐えられるようなつくりになっています。

 近年、生活環境の変化でくど造りを見いだすことはなかなか困難です。当主によれば、明治後期ごろに建てられたと伝えられ、ほとんど改修はなく、当時の姿を今日に伝えていました。

このエントリーをはてなブックマークに追加