筑紫神社の境内には修行道場やお堂が建っている=鳥栖市

 筑紫氏の館跡はいま、「きやぶ西国三十三所観音霊場」の23番応頂山勝尾寺と、「きやぶ天保四国八十八か所霊場」の62番天養山宝寿寺になっています。どちらも十一面観音をまつる勧請地です。

 近畿周辺にある「西国三十三所観音霊場」の起源は古く、平安時代の終わりまでさかのぼります。観音霊場は室町時代中ごろには庶民に広まり、各地に「写し霊場」がつくられます。

 この地域の「きやぶ西国三十三所観音霊場」の起源を裏付ける史料はありませんが、古くまでさかのぼる可能性を持っています。

 「きやぶ天保四国八十八か所霊場」は年号にあるように天保4(1833)年につくられたことが田代代官所の文書に残されています。観音霊場、八十八か所霊場がまつられている筑紫氏の館跡はいま、なぜか筑紫神社と呼ばれています。

(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

=九千部山よもやま話・鳥栖三神=

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