曳山や唐津の歴史探索が「ライフワーク」と語る吉冨寛さん。パソコンの画面は山内薬局のHPにあるくんち特集=唐津市京町の同薬局

今年のくんちのチラシ。新たに歴史を記したコーナーが登場

■吉冨 寛さん(59)

 毎年10月になると、唐津くんちの案内チラシが市内各所に置かれる。曳山(やま)の名前や制作年、巡行コース、通過予定時間が書かれ、観光客が重宝する。その数9万3500枚。本年分には歴史解説コーナーが新たに設けられた。

 14台の曳山が曳(ひ)かれる以前までさかのぼり、担ぎ山と呼ばれた傘鉾もあったことを紹介する。執筆したのは唐津曳山(ひきやま)取締会で広報を担当する吉冨寛さん(59)だ。

〈ライフワーク〉

 12番曳山「珠取(たまとり)獅子」の京町アーケード内、漢方薬の山内薬局2代目。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に堺から来た商人・木屋利右衛門の流れをくむ。薬局のホームページは本業だけでなく、郷土史、中でもくんちにまつわる資料が充実している。

 関係者に許可を取るなどして関連書籍や資料を公開。資料を整理し、宵曳山(よいやま)の移り変わりなど項目ごとにまとめている。かつて曳山は15台あり、明治期に姿を消した紺屋町の「黒獅子」をめぐる考察では、堀に落ちたとされる状況を推理し、「黒獅子消失の謎解きはヤマスキ(曳山好き)の浪漫」と記している。

 こうした歴史探索を「唐津が好きで、自分が知りたいから始めた。ライフワーク」と言い切る。調合の仕事の傍ら、店を訪ねてくる曳山好きの仲間たちと話に興ずる。吉冨さんが教わることも多いという。「ほんとみなさん楽しそうな表情で、宝物なんでしょうね」と妻の弥生さん(58)。

〈定説に疑問符〉

 調べることで疑問も生まれる。例えば曳山の制作方法として伝わる「一閑張り」。唐津の“定説”になっているが、「茶道具のなつめの作られ方が正しい一閑張りなら、曳山は大きさと厚さが違いすぎる」と指摘。囃子(はやし)で使われる釣り鐘状の「鐘」も、浮立で打つ円形の「鉦(かね)」との誤表記も目立つ。自身のフェイスブックで指摘するとともに、メディアにも呼びかけ、そうした表現は少しずつ消えつつある。

 唐津特有の町人文化を連綿と受け継いできた曳山行事。だからこそ「恥ずかしくないように伝えたい」と吉冨さん。年内にもユネスコ無形文化遺産への登録が見込まれ、歴史継承の重要性はさらに増す。

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