筒江窯跡の焼成室奥壁。高さ1㍍のところに三十数個の通焔孔がみられる

 江戸時代の初めに有田の泉山で磁石が発見され、磁器が量産されるようになりました。これはわが国の陶磁史上に大きな変革をもたらす事柄でした。この時期に磁器を焼成した窯のうち代表的なものが肥前磁器窯跡として国の史跡に指定されており、山内町の百間窯もその一つです。

 百間窯跡は板ノ川内の尾根の西斜面を東から西へ登る階段状連房式の登窯です。染付を主体に白磁や青磁などの磁器、象嵌(ぞうがん)や二彩などの陶器がみられ、碗(わん)や皿、鉢、壷(つぼ)、水指など種類が豊富な窯として知られます。操業は17世紀前半、17世紀半ばに泉山磁石が配されなくなって廃業したと考えられます。

 同じ山内町にある筒江窯跡は、県の史跡に指定されています。黒髪山東麓の筒江集落内の窯ノ辻窯跡、新窯跡を含む筒江古窯跡群のひとつです。往時は200人を超す窯焼き従事者がおり、旅館もあって仲買人で大繁盛していたと伝えられます。

 窯は全長60メートル以上、幅が10メートルほどある大規模な階段状連房式登り窯で、今でも一つの焼成室の奥壁が露出しています。染付や青磁を主体とする磁器窯として17世紀後半から明治15(1882)年ごろまで操業しており、18世紀には青磁染付の碗や皿を中心に生産されました。近年、韓国の寺院から筒江窯製の碗が出土し、海外へも渡っていたことが確認されました。

 武雄市図書館・歴史資料館では、武雄の古いやきものの魅力をあらためて見直す企画展「古武雄-武雄のやきもの再発見-」を12月11日まで開催しています。(武雄市図書館・歴史資料館 一ノ瀬明子)

このエントリーをはてなブックマークに追加