■九州に類例なく長大

 1586(天正14)年7月、鳥栖市牛原町の勝尾城に鹿児島の島津義久が派遣した薩摩勢3万が押し寄せる。勝尾城には城主筑紫広門のもと、鳥栖市、基山町、小郡市などの周辺住民のすべてが立てこもる。

 最大の激戦となったのは、城下町・牛原新町を守る総構と同城の枝城「つづら城」。その総構跡とつづら城跡には九州に類例のない長大な空堀が残っている。

 7月6日に始まった合戦は10日まで続き、筑紫広門は降伏するが、8月、豊臣秀吉が九州統一のために派遣した黒田官兵衛らが門司に上陸すると、筑紫広門は勝尾城を取り戻し、筑後の朝倉郡に攻め込み、福岡市を含む福岡県中西部一帯を支配する。

 27日には鳥栖市教委が発掘調査を続けるつづら城跡と周辺を巡る見学会が開かれ、ボランティアガイドが案内する。(絵・水田哲夫、文・高尾平良=鳥栖市本町=)

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