なかなか厚みのある展覧会である。江戸時代に旧武雄領内で作られた陶器群を紹介する企画展「古武雄展」(12月11日まで)を、武雄市図書館・歴史資料館で見た。目を引いたのは武雄で焼かれた甕(かめ)も数多く展示してあったことだ◆茶色い、高さ96センチの甕には「寛永六年」(1629年)の銘が入っている。本格的な肥前での大甕生産が、400年近く前には武雄で始まっていたことを示す。原料の土が豊富で、西日本一の産地だったという◆文禄・慶長の役で朝鮮人陶工を連れ帰り、叩(たた)き技法とともに生産技術が伝わった。工程で甕の内側を叩く道具を「トキャー」、外を叩く道具を「シュレー」と呼ぶ。この技法を継承する武雄市武内町多々良(ただろう)の金子晃久(てるひさ)さん(52)=金子窯=は5、6年前、韓国の蔚山(うるさん)近くで叩きの実演を見た。「道具の名も叩きのやり方も一緒だった。ルーツはここだなと思った」と話す◆武雄市では多々良地区と並び、橘町上野(かみの)地区が戦後まで続いた県内の2大甕産地だ。穀物の保存や味噌(みそ)・醤油(しょうゆ)の生産用、そして土葬用にと用途は幅広く、上野では国内最大級の5石(こく)(900リットル)の巨大甕が作られた。しかし、日本人の生活スタイルが変わり、1960年代前半を境に消えていく◆高い技術を要した大物の製作。甕文化を見直すことで、古(いにしえ)の生活様式も見えてくる。(章)

このエントリーをはてなブックマークに追加