目に涙を浮かべたのは、祖国への断ちがたい思いからだろう。先月訪れたキューバで会った日系3世、フランシス・アラカワさん(54)は片言の日本語で来し方を振り返った◆祖父が熊本からキューバに渡ったのは1923(大正12)年で、勤めは製糖会社だった。しかし、41年に起こる旧日本軍の真珠湾攻撃で、当時の親米政権が日系人男性を強制的に収容した。このことは先月31日付の佐賀新聞に載ったが、祖父もその1人◆日本人の祖母は製糖工場経営の米国人宅で家政婦をして、子どもたちを懸命に育てた。その4女がアラカワさんの母で、父はキューバ人。祖父は祖国の土を踏むことなく亡くなり、収容所の経験を語ることはほとんどなかったそうだ◆アラカワさんはキューバ人と結婚。4年前に初めて日本の地を踏んだ。熊本空港に降りたら、不意に震えるような懐郷の念にかられ、地面にキスをしようとして周りを驚かせたという。9月に安倍首相がハバナを訪れた際、日系人の慰霊堂に供える花を渡す役を彼女は務めた。その時、「私には日本人の血が流れている」とこれまでなかった感覚にとらわれた◆今、キューバの日系人は約1400人。「日本人の子孫が日々努力していることを知ってほしい」。遠い遠い地に思わぬ苦難の歴史があったことに、はっとする思いだった。(章)

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