曳山小屋に帰ってきた七宝丸を取り囲む曳き子と住民ら=3日午後5時前、唐津市江川町

 唐津くんち宵曳山(よいやま)の2日、新調した台車の車軸の不具合で巡行の列から離れる事態となった14番曳山七宝丸(江川町)。深夜から翌3日午後に及ぶ修復作業の始終を4日朝、フェイスブックや佐賀新聞社運営のSNS「ひびの」でつづったところ、多くの反響とともにコメントが寄せられた。予期せぬ出来事は、曳山を受け継ぐ曳き子たちの連帯と市民の愛着をあらためて実感させた。連載した「曳山と出会い 曳山と生きる」の番外として紹介する。

 【長い1日】

 「七宝丸はまだ修復中です」。昨日(3日)朝一番、記者からの電話で、宵曳山の酒が残る頭で支社へ。長い1日の始まりでした。

 夜を徹しての修復作業は続き、出発の時間が過ぎる。見守る記者から「曳き込みには間に合わせたいということです」。その後「どうも無理のようです」。時計は正午を回る。お声をかけていただいた家々に伺おうとして、どうも気持ちが沈んでしまう。

 お旅所では総取締が「残念ながら、江川町がこの場にいない。彼らの分も曳こう」。同じ曳山仲間の無念を思って涙する曳き子も。

 曳き出しの時間が過ぎ、今年は無理かと思った午後4時前、「江川町が動き出した!」と3月まで支社に勤務した記者からの電話。カメラを持って江川町に向かうと、沿道は安堵の歓声に包まれていました。

 台車の下に潜り込んで修理した機械メンテナンス職の曳き子も、この1年、修復・総塗り替えの陣頭指揮を執った取締も、つなぎの作業着のままです。でも、それが力を合わせて難事を乗り切った証しに見えました。

 何かしたいけど、何もできない。ただ祈るだけ。そんな思いで大人たちの作業を見守った子ども、若者にとっても生涯忘れないくんちになったでしょう。さあ、きょうは昨日の分まで「ヨイサ!」です。(唐津支社長・吉木正彦)

▽案じた市民の声続々 曳き子の連帯実感

■正視できず祈るだけ

 宵曳山で、期待した七宝丸を待てども来ない。晴れ姿を見たい一心で、アルピノ横へ。待ちに待った曳き子の不安そうな、落胆の顔を正視できずに祈りながら帰宅。でも翌日、何とか曳くことができてホッとしました。(藤元秀幸さん)

■生涯忘れない光景

 お旅所に到着して、七宝丸がいないことに違和感を感じ、曳山を曳かない自分が落ち込みましたので、江川町の人々の落ち込み、悔しさは想像できないくらいだったと思います。曳き出し終盤にお旅所の逆方向から「ヨイサー、ヨイサー」の掛け声が聞こえてきて、七宝丸が見えた時は鳥肌が。一生忘れられないくんちになりました。あの場面を子どもにも見せることができて、良かったです。(フチカミシンサクさん)

■寒空の中、必死に

 七宝丸が塗り替えられたとのことで、見るのを楽しみにしていました。やがてやって来ましたが、しばらくするとコースを外れて停止。何事かと思って近寄ってみると、台車の不具合とのことで、何人かがジャッキアップした台車の下にもぐり込んで必死に応急作業をされていました。大勢の曳き子は曳山囃子(やまばやし)も止まった寒空の中、作業を見守るしかありませんでした。

 3日のお旅所では七宝丸の姿が見えなかったので、残念な気持ちになりましたが、半分以上の曳山が曳き出されたころ、北坊主町交差点に七宝丸の姿が! そして曳き出された曳山が次々に向かい合ってお互いに「エンヤ!」の大合唱! 長年くんちを見てきましたが、こんな光景は初めてでした。(T・Kさん)

■心も技術もつなぐ

 宵曳山の日、アルピノの裏で待機する七宝丸。私も心配で1時間ほどそばにいた。作業に当たる曳き子の身体は冷え、先輩らは彼らを気遣われていた。静寂さと緊張感に包まれ時間が流れる。台車の下では修理作業の火花が時々飛んでいた。仮修理を終え、午後9時50分、七宝丸に灯(あか)りがともった時、拍手が起きた。スペシャリスト、技術者軍団。曳山を曳くだけでなく、この町は次世代に技術も継承し、心をもつないでいくのだと実感した日だった。(坂田あや子さん)

=曳山と出会い、曳山と生きる 唐津くんち2016 番外編=

このエントリーをはてなブックマークに追加