給食でも使われている有田焼の食器。訪問客が多いときに重宝している

船津静哉さん一家が普段使っている有田焼の食器。自宅(奥)に隣接する施設「たんぽぽの家」のテラス(手前)で、景色を眺めながら食事を楽しむことも=多久市多久町

人とのつながりで集まった器やその思い出を話す船津静哉さん

■ブドウ柄の器 料理上手な妻思い出ふと

 このブドウ柄の有田焼は10年前、わが家にやってきた。数種類あるんだけど、家族が一番使っているのは丼。私が人一倍食べるから、妻は器いっぱいに牛丼や親子丼を盛ってくれていた。

 4年前に53歳で亡くなった妻は料理がうまかった。野菜が苦手な娘には、細かく刻んだちゃんぽんやシチューを丼に入れて出していたね。シチューと同じ日に、私の好きなカレーも作ってくれた。娘と私とで食の好みが全く違うから、準備も大変だったと思う。

 この有田焼は、県内一周駅伝の西松浦郡チームの皆さんからもらったものでね。10年前、私が監督をしていた多久市のチームと合同で、自宅敷地にある福祉施設の広間で合宿を始めたんだ。当時はお互い、下位からの脱出を目指していてね。コンテナに入った大量の有田焼を「使って」と持ってきてくれた。彼らの中には、磁器関係の会社に勤める人が多かったからね。ブドウ柄の器は、施設で使うものとは別に「ご家庭用に」と頂いたものだった。

 県内一周駅伝は、娘も息子も走ったことがある家族行事のような大会。合宿では、妻がチームのスタッフと一緒に大量のカレーを準備し、有田焼の器に盛って振る舞ってくれた。駅伝本番は、車でいろんな地点に先回りして、声をからして応援してくれた。

 西松浦郡の皆さんは毎年、合宿のたびに有田焼を持参してくれて、200枚ぐらいまで増えた。自宅用も増えて、「買わなくてもいいくらいね」と妻は喜んでいたよ。

 私は洋風の器も好きで、妻に相談せずに買うこともあったんだ。そのたびに妻は「またこんなものを買って」と渋い顔をしていたよ。妻と娘は、シンプルで何の料理でも合う有田焼で満足している感じだった。

 妻が体調が優れないことを訴えたのは、2011年の夏前の合宿の時だった。寝込んで合宿の手伝いができず、選手のみんなにもずいぶん心配してもらった。翌年、妻は亡くなった。

 私は仕事をしながら駅伝や地元の祭り、施設のイベントに携わってきてね。お客さんも多くて、そのたびに妻は食事を振る舞ってくれた。自宅に何人訪ねてきても快く、手際よく料理を出してくれた。

 あの姿を見ることはもうできない。でも、有田焼の器を見ると、妻が盛り付けてくれていた料理の記憶と一緒に、支えてくれていた姿を自然と思い出すんだ。

=余録= 駅伝縁の贈り物

 養護教諭だった船津静哉さんの自宅の敷地には、地元の人たちと一緒に1994年に立ち上げた障害児交流拠点施設「たんぽぽの家」がある。週末になると、子どもたちと家族が泊まりに訪れる。県内一周駅伝の合宿シーズンには約30人が寝泊まりする。

 宿泊する人たちが使うのは、給食でも使われているという丈夫な有田焼の器。西松浦郡チームからの贈り物だ。「紙皿では味気ないもんね」と船津さん。

 施設のテラスにはキッチンもあり、亡き妻の敬子さんが手料理を振る舞っていた。テラスからの景色は、まるでヨーロッパの牧歌的な田舎のようにも映る。風景と器のぬくもりで、多くの人が癒やされている。

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