今も「最後まで妥協をするな」という照井一玄さんの教えを忘れないという中村太さん=伊万里市南波多町の源右衛門伊万里窯

30代で白磁のつぼや花器で日展や県展に入選。今後は「三川内の細工に挑戦したい」と話す

■抱き続ける造形への情熱

 小学生の時、焼き物商社を経営する父の故郷でもある三川内(佐世保市)の窯元で見た細工物の造形美に心を揺さぶられた。「きれいだな。こんなものを作ってみたいな」。その感動を持ち続け、「いつかは三川内のような細工に取り組んでみたい」と情熱は消えない。

 有田窯業大を卒業後、京都・宇治で活躍する陶芸家の荒木義隆さんに師事し、ろくろの技を学んだ。3年後に「やっぱり土ものより、磁器の美しさを追求したい」と帰郷した。

 知人の三川内焼作家の手伝いをしていて出合ったのが、有田町の照井一玄さんの白磁だった。気品あふれる美しさに感動を覚え、「修業させてください」と押しかけた。照井さんの窯では蹴(け)ろくろを教わった。蹴ろくろは電動と違い、肘を固定することができない。体全体を自由に使うための修業だった。

 面白さに夢中になった。夜中も遅くまで窯に残り、蹴ろくろを回した。「あまり遅くまでいたので、対処に困られたのでしょう。『電動ろくろをやるから、家でやりなさい』と言われて…」。苦笑いで振り返る。

 5年が過ぎ、30歳の時に照井さんに独り立ちを促され、実家に「中村陶房」を構えた。自らの作陶と生地の外注を受け、30代で県展や日展の入選も果たした。それでも生計を立てるのは厳しい世界だった。「営業は得意じゃなかった。いくら作っても、売れなければ成り立たない」。40歳で源右衛門伊万里窯に入り、機械での成型を担当している。

 現在は個人の作陶から遠ざかりつつあり、たまにろくろに向かう際は衰えを感じる瞬間もあるという。「正直言って焦りはある。常に続けておかないと技術は保てない」と胸の内を明かす。

 若手がろくろで独立する難しさは、中村さんが12年前に伝統工芸士に認定された後、ろくろの伝統工芸士が1人しか出ていないことからも証明される。「ろくろを志す若手もいるが、それで食べていけないと伝統技術の継承は難しい。これから先、手仕事に本当の価値観を見いだせるかが課題」。自らの経験を踏まえ、後進の指導の必要性も訴える。

 なかむら・ふとし 1970年、旧西有田町生まれ。有田窯業大学校を卒業後、京都・宇治での修業を経て、帰京後は白磁の照井一玄さんに学ぶ。30歳で「中村陶房」を開き、現在は源右衛門伊万里窯勤務。伝統工芸士は2004年度に認定(ろくろ部門)。05年に一級技能士。自宅は有田町南原甲706-74、電話0955(42)4113。

このエントリーをはてなブックマークに追加