オビヤ浦にある武寧王が生誕した地といわれる洞窟=唐津市鎮西町加唐島

◆朝鮮と関係地名に痕跡

 唐津は地理的に見て朝鮮半島に近く、古くから人や文化の交流窓口としての役割を担ってきた。その一例として「日本書紀」の雄略天皇紀5(461)年の条に記されている嶋王の話が挙げられよう。

 百済21代王の加須利君(かすりのきし)(蓋鹵王(がいろおう))が弟の軍君昆伎(こにきしこにき)を倭国に貢(たてまつ)る際、自分の子をすでに孕(はら)んだ側室を与え、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま)(加唐島)まで来た時、一児が生まれたので嶋君(せまきし)と名付けて百済に送り返した。これが百済25代王・武寧王(ムリョンワン)である。

 この「日本書紀」の武寧王の出生譚は、1971年に韓国忠清南道公州市宋山里で武寧王陵が発見され、出土した墓碑銘からその正当性が認められている。

 このような故事が理由かどうかは不明だが、加唐島にはエヌヲノ鼻、ハシロイノ鼻、カリオ岬など、古代朝鮮語を思わせるカタカナの地名が残っている。

 そして武寧王関連の遺跡といわれているものに、オビヤ浦の武寧王が生誕した場所とされる洞窟や、武寧王生誕時に産湯に使ったという井戸などがある。

 現在、まつろ・百済武寧王国際ネットワーク協議会が武寧王を通した日韓交流を目的に毎年10月、公州市の錦碧路と扶余郡扶余邑定林路で行われる百済文化祭に参加したり、韓国踊りの紹介を行ったりしている。

 日韓関係が冷え込んでいる現在、こうした草の根交流こそ真の交流だといえよう。

=略歴=

 たなか・まこと フリーの編集者で、民俗学、歴史を中心に編集・執筆活動を行う。1954年生まれ。唐津市桜馬場。

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