飛鳥時代から現代まで、仏像は連綿と造り続けられてきた。ものの本によると、平安時代には白河法皇だけでも生涯に6200体もの仏像を造らせたという◆そこに救済を求める人々の心がある。慈悲、悟りなど仏像に魂を吹き込むのは仏師の命がけの表現力だ。「仏造って魂入れず」。一番肝心なものが抜け落ちていることの例えである◆この言葉が浮かんだのは、原発事故で福島から横浜に自主避難した中学1年の男子生徒がいじめられていたという手記を読んだからだ。ばい菌扱いされた、金銭をせびられた…。数々の悔しさ、恐怖が小さな胸からあふれるように綴(つづ)られた文は涙なくしては読めない。早くに把握し放置した学校側は「いじめ防止対策推進法」の重さが分かっていない◆法があっても正しく運用しなければ意味がない。この法律にはいじめに涙し、耐えうる限界を超えてしまい、自ら命を絶った子らの「魂」がこもっているはずだ。なのに肝心の守るべき現場の大人たちの心が欠けて、台無しにしている◆「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」。強い心を持っていてくれた生徒に救われた。だが、子どもに二度とこんな思いをさせてはならない。仏の目を開かせるのは、大人たちの責任である。(章)

このエントリーをはてなブックマークに追加