菊池裕太さん(左から2人目)が空き店舗を改装して開業したTシャツ工房。歩行者専用の通りに面し、常連客との談笑も弾む=佐賀市呉服元町

 これまで衰退が叫ばれてきた中心市街地に再生の兆しが見え始めた。廃業した店の多くが駐車場に姿を変えてきた佐賀市呉服元町。30代を中心に店を構える若者たちが少しずつ増え、2010年に5割を超えていた空き店舗率は3割にまで減少している。

■ネット通販

 商業住宅複合ビル・エスプラッツ近くの婦人洋服店。広さ50平方メートルほどの店内は平日も20~30代のママ友たちでにぎわう。多くがSNSでつながる“顔見知り”。店で扱う服を着た店員の投稿写真を見て訪れるようになったという。

 日中は人通りの少ない場所だが、「ここにしかないものがあればお客は来てくれる」と社長の松田潤さん(32)。高校時代によく通ったこの町に出店した理由をこう語る。5年前に空き店舗を改修。ネット通販にも力を入れ、昨年は5200万円を売り上げた。

 この5年間で町の空き店舗に入った店や事業所は10軒近く。松田さんの店をはじめ、デジタル工作工房やハンドメード雑貨店などが相次いで開業している。

 2年前、大阪から帰省して築100年の空き店舗にTシャツ工房を構えた菊池裕太さん(33)もその一人。イメージしたのは「他にはない遊び心あふれる店」。古いたたずまいが目指した店の形と重なった。人の背丈ほどのプリント機を店頭に置いて仕事を客に見せる独特の店構えが話題を呼び、多い月にはダンサー仲間や大学生などから千枚の注文が入る。

■買い物以外も

 郊外に大型店進出が続き、最盛期に市内随一の70人の組合員がいた呉服町名店街組合は08年に解散。にぎわいの象徴だったアーケードが解かれたこの町で、菓子店を長年営む中溝一雄さん(75)は「買い物以外でも人が集まる町になりつつある」と状況の変化を肌で感じている。

 6年前、住民や企業経営者らによる「街なか再生会議」が発足したのも一つの転機になった。行政から独立する形でにぎわいの仕掛けづくりがスタート。まちづくりのNPO法人ユマニテと連携して空き店舗を貸し出す試みを増やし、ここから起業した若者もいる。

 「まちなか再生はかつての商店街に戻すこととイコールじゃない」。会議の座長を務める建築家の西村浩さん(49)は言い切る。日常的なにぎわい創出には民間の力が不可欠として、東京に拠点を置く設計事務所の支店を兼ねたシェアオフィスも開設。フリーのデザイナーら7人が事務所代わりに利用している。

 とはいえ、「シャッター通り」解消の道のりは遠く、手探りが続く。閉店した店舗に家族が住み続けていたり、持ち主が分からずに活用できない店も多い。それでも、これまで郊外型大型店に張り合う形で進めてきた中心街活性化の取り組みを思い返し、個性を生かした町の有り様を考え始めている店主たちもいる。

 「決して特別でなくていい。この町だからできる身の丈に合ったことをやればいい」。かつてエスプラッツを運営した第三セクターの元役員だった清水信弘さん(69)はそんな思いから、町屋の保存、活用を核にした活性化に力を注ぐ。“新住民”たちがもたらしている静かな人の流れが少しずつ町に溶け込んでいる。

=郊外型大型店、空洞化に拍車=

 佐賀市の中心商店街は、多くの都市に共通するように郊外型大型店の進出が衰退の要因の一つとなっている。車社会の進行とともに幹線道路沿いに大手資本の参入が相次ぎ、空洞化に拍車を掛けた。

 商店街の多くは昭和50年代に卸売業中心から小売業中心に転換。窓乃梅に核店舗でスーパー寿屋が入るなど最盛期を迎えた。60年代には紳士服や家電量販店が郊外にオープン。中小商店の保護を目的とした大規模小売店舗法が1994年に緩和されて以降、延べ床面積1万平方メートルを超える小売店の立地も加速した。

 市の活性化策などで、近年の空き店舗率は改善傾向にある。ただ、老朽化した空き物件も多く、入居希望者とのミスマッチなどが課題になっている。

■佐賀市中心商店街 近年の歩み

1998年●ダイエー佐賀店閉店。エスプラッツ開業

2003年●エスプラッツ閉鎖

  05年●老舗スーパー窓乃梅閉店

  07年●エスプラッツ再オープン

  08年●呉服町名店街協同組合が解散

  10年●ハローワーク佐賀、白山に移転

  13年●国保会館、スーパー窓乃梅跡地に完成

  14年●佐賀商工ビル、旧ダイエー跡地に移転

=まちが動いた ゆめタウン佐賀10年=(3)

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