原爆中心碑を囲む「人間の鎖」に高校生平和大使として加わった当時の吉田澪さん(左端)=2012年8月9日、長崎市の爆心地公園

 「核なき世界」を希求する被爆地の声を世界に伝える活動をしてきた高校生平和大使。佐賀県の歴代大使たちも27日、同じ思いを共有するオバマ米大統領の広島訪問を見守った。「8月6日の苦しみを忘れてはならない」。世界に発信されたメッセージに、記憶の継承という役割の重さをあらためて実感していた。

 「私たち一人一人の思いと行動が、この歴史的瞬間とどこかでつながっているんだと感じた」。2012年に佐賀県の初代平和大使を務めた津田塾大2年の吉田澪さん(19)は、オバマ大統領と被爆者が笑顔で手を取り合う場面を見て、胸がいっぱいになった。

 吉田さんは平和大使の活動を通し、思いを行動に移すことの大切さを学んだ。「今回、それをオバマさんはやってくれた。広島まで足を運ぶという行動自体が、たくさんの人を勇気づけた」。核廃絶に向けて、世界が好転するかもしれないという予感と同時に「この訪問を生かすかどうかは、私たちの世代に掛かっている」と責任も感じた。

 2代目平和大使の古川慧月(えるな)さん(19)と3代目の原田純季(あつき)さん(18)はそれぞれ、被爆地の長崎と広島の国立大に進学した。戦争や平和について考える機会が多いが、被爆地とそれ以外の地域との意識の「落差」も感じているという。

 古川さんは「長崎の町では核廃絶を求める署名の光景が日常的だけど、隣の佐賀ではそうではない。学生の意識も全然違う」。原田さんも「地元以外の学生の平和に対する関心の低さは心配になるほど。オバマさんに原爆資料館の見学を求める声が多かったけれど、日本の若者自体が足を運ばなくなってきている」。国内での記憶の継承も大きな課題と指摘する。

 現在、平和大使を務める鶴田晴子さん(18)=弘学館3年=は「オバマさんは『長い時間が掛かっても、核廃絶を求めていく』と言ったことを忘れずに実行してほしいし、私たちも思いを共有して核なき世界を目指していきたい」と言葉に力を込めた。

 高校生平和大使 長崎市の市民団体が1998年、インドとパキスタンの核実験に危機感を抱き、被爆地の声を世界に伝えようと高校生を国連に派遣。2000年からは毎年、スイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪れ、核兵器廃絶を訴え、国内で集めた署名を届けている。12年からは「佐賀県枠」がつくられ、これまで4人が活動した。

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