国史跡に先月指定された「東名(ひがしみょう)遺跡」(佐賀市金立町)の指定記念企画展「縄文の奇跡」が、27日まで同市の県立博物館で開かれている。国内最古級の湿地性遺跡として編み籠をはじめとする多数の出土品が展示され、8千年前の縄文人の暮らしぶりが鮮やかによみがえる。国史跡指定を弾みに遺跡をどう後世に伝え、活用していくのか、考える契機にしたい。

 縄文時代は、草創期(約1万5千年前~)から晩期(~2500年前)まで大きく6期に分けられる。東名遺跡は時代区分で言えば縄文早期にあたる。縄文時代の湿地遺跡には有名な青森県の三内丸山遺跡などがあるが、「早期」の後の「前期」段階以降が中心で、明確に早期までさかのぼる遺跡はほとんどない。このため、編み籠をはじめとしたこの時期の遺物出土は「奇跡」といわれる。

 発掘を担当してきた佐賀市文化振興課の西田巌さんは、「奇跡」の理由として、①縄文海進(かいしん)と呼ばれる温暖化による海面上昇で全体が一気に粘土層に覆われ、酸素に触れることなく現代に至った②貝殻のカルシウム分が溶け出して土壌を中和し、酸性土壌では分解される動物の骨などが数多く残った-などを挙げる。遺物の多くが国内最古級で、「日本の文化の起源を探る上でも重要な遺跡」と西田さんは指摘する。

 実際に企画展会場に足を運ぶと、縄文人の生活ぶりを示す遺物が見事に残っていることに驚かされる。食べ物の煮炊きに使われた土器は貝殻などを使って直線やギザギサ文様が描かれ、その細やかな手作業には感慨すら覚える。出土品のハイライトとなる編み籠は、縦横1本ずつ編む「ござ目編み」のほか、「もじり編み」「網代(あじろ)編み」など9種類があり、籠の中央部には装飾的な菱形(ひしがた)の模様まで編み込んでいる。現代に残る編み方がすでに8千年前までに定着していたことを示す貴重な資料だ。編み籠は700点以上出土しており、その量や古さにおいても世界的に類例がない。

 企画展では、出土品や生活ぶりをイラストを使って分かりやすく紹介しているのも特徴。編み籠を作る人、籠を抱えてドングリを運ぶ人、ペットである犬も描かれている。当時は5~6世帯でひとつのムラが作られていたが、1世帯を5人程度とすると、その規模は25~30人ほどだったという。東名では貝塚が6カ所発見されているため、2~3のムラがあった可能性がある。食した貝はカキ、アゲマキ、ヤマトシジミなど。シカなどの骨を使った「髪針」(ヘアピン)、イノシシの犬歯などで作ったペンダント、伊万里市の腰岳産黒曜石を割って作った矢じりなど興味深い遺物が数多く並ぶ。

 一般に縄文期の遺跡は東日本が中心と受け取られていたが、東名遺跡の登場で、縄文早期は西日本が先行していたことを物語るようになった。時間の流れがゆっくりとしていた縄文時代。その後にやってくる弥生時代は争いごとが多くなる。東名遺跡には弥生期を代表する吉野ケ里遺跡のように「邪馬台国」「卑弥呼」といった華々しいキーワードはないが、その質実な営みは、現代人に暮らしや生きることの本質を教えてくれるような気がする。そうした役割を含め縄文を代表する遺跡として全国にアピールしたい。(丸田康循)

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