山口範蔵(尚芳)=右=と小松玄蕃(小松帯刀)=左=が写った古写真。(港区立港郷土資料館所蔵・井関盛艮旧蔵コレクション)

 武雄出身の偉人と言えば山口尚芳(ますか)の名が思い浮かびます。山口は、天保10(1839)年、現在の武雄市に生まれました。若い頃は治喜人、範蔵を名のりました。15歳の時、武雄領主鍋島茂義の命で長崎に赴き、蘭学や英学を学び、その後、上京して岩倉具視に接近、倒幕運動にも奔走しました。

 石井良一著『武雄史』は、今から150年前の慶応4(1868)年、西郷隆盛と勝海舟の会談により実現した4月21日の江戸城明け渡しの際、山口が薩摩藩出身で幕末の世上で活躍した小松帯刀と並び新政府軍の先頭に立って入城したと伝えます。

 その裏付けは見つかりませんが、港区立港郷土資料館所蔵の古写真の中に、小松帯刀と山口範蔵が一緒に写る写真がありました。小松と山口の近しい間柄が推察されます。激動期の日本を動かした若い2人の姿です。2人は江戸城明け渡し直前の3月、ともに新政府の外国事務局勤仕を拝命しますので、写真はその当時のものでしょうか。『武雄史』の記述もあながち偽りとは言えないでしょう。

 小松は明治3(1870)年、34歳で早逝しますが、山口は明治4(1871)年には岩倉使節団の全権副使を拝命、米欧の先進各国を視察しました。帰国後、会計検査院初代院長をはじめ政府の要職を歴任、近代日本の形成に多大な役割を果たしました。

 武雄市歴史資料館では、8月5日まで企画展「武雄の明治維新150周年 知ってますか? 山口尚芳」を開催しています。

このエントリーをはてなブックマークに追加