滋賀県日野町で1984年、酒店経営の女性が殺害され、金庫が奪われた「日野町事件」で大津地裁は、強盗殺人罪で無期懲役が確定し服役中に75歳で病死した阪原弘元受刑者の再審開始を認める決定をした。元受刑者の遺族が再審を求めていた。死刑か無期懲役が確定した重大事件で「死後再審」が認められるのは極めてまれなことだ。

 地裁決定は確定判決を支えた自白について「警察官から暴行を受け、娘の嫁ぎ先や親戚をガタガタにすると脅迫された結果、自白した疑いがある」と任意性を否定。殺害方法など客観的な状況と矛盾するとし「事実認定の基礎とし得るほどの信用性を認めることはできない」と結論付けた。

 元受刑者は無期懲役が確定した翌年の2001年に再審請求。大津地裁に退けられ、大阪高裁に即時抗告中の11年に亡くなった。遺族の申し立てで12年に第2次再審請求審が始まり、検察側が手持ち証拠を開示したのをきっかけに裁判所が警察の捜査に強い疑問を投げ掛け、審理の潮目が変わったという。再審における証拠開示の重みが改めて裏付けられた形だ。

 刑事訴訟法改正により裁判員裁判などで検察側の証拠開示は拡充されたが、再審には開示のルールがない。裁判官の姿勢次第で法廷に出てくる証拠が乏しくなり、再審開始の可能性が低くなることもある。早急に規定を整備する必要がある。

 日野町事件で阪原元受刑者と犯行を直接結び付ける証拠はなく、自白をよりどころに間接証拠が積み上げられた。第2次請求審では、30年前の逮捕後に金庫の発見現場の実況見分で警察が撮影した写真のネガが検察側から初めて開示された。元受刑者は自ら捜査員をこの現場に案内したとされ、確定判決は重要な状況証拠として重視した。

 ところが弁護団がネガを調べると、現場に向かう時に撮影したとする写真が実は帰り道のものだったことが分かり、元受刑者が本当に案内できたのかという疑問が膨らんだ。これが審理の大きな節目になったと弁護団はみている。さらに自白と実際の殺害方法が食い違うとする法医学鑑定などが弁護団から提出され、再審の扉が開かれた。

 死後再審は判決を受けた本人が法廷で無実を訴えることができないこともあり、裁判所の審理が消極的になりがちだという。過去に認められたのは、徳島ラジオ商刺殺事件や、戦時下最大の言論弾圧といわれる横浜事件など数例にとどまる。

 今回は、地裁が積極的に証拠開示を促したことで再審開始の糸口が見いだされた。しかし、これからも、そうなるとは限らない。再審の手続きを定めた刑訴訟には証拠開示の規定がなく、担当する裁判官の裁量や職権に頼るしかないからだ。

 捜査・公判改革を巡る法相の諮問機関、法制審議会の特別部会の議論を経て、裁判で被告・弁護側が求めたときは検察側に証拠の一覧表交付を義務付ける制度が始まるなど、証拠開示は拡充された。同じ部会で「再審無罪のほとんどは未提出証拠の開示で確定判決の誤りが明らかになっている」と再審への開示制度導入を求める声も相次いだが、実現していない。

 再審請求審で検察側がなかなか開示に応じないことが審理の長期化にもつながっている。地裁決定を契機に停滞している議論を前に進めたい。(共同通信・堤秀司)

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