長い歴史の中で栄枯盛衰を繰り返してきた大興善寺=基山町園部

 つつじ寺として知られる基山町園部の大興善寺は2017年、僧行基による開基から創建1300年の節目を迎える。長い歴史の中には、幾度かの栄枯盛衰を繰り返してきた。

 無量寿院と称していた承和(じょうわ)年間(834~848年)には、本尊の十一面観世音菩薩を残し、堂宇と什器(じゅうき)などことごとく焼失した。唐から帰朝する途中で、大宰府に滞在していた慈覚大師圓仁(えんにん)(794~864年)は無量寿院の焼失を嘆き、かつて自身が修行した中国・長安の名刹(めいさつ)大興善寺の名にちなみ、寺号を大興善寺に改め再興する。

 戦国時代(1467~1568年ごろ、異説あり)には文明、享禄(きょうろく)、天文の3度の兵火に遭い堂塔は焼失した。このうち、天文の戦火に際しては勝尾城主筑紫惟門が施主として1542(天文11)年に再建を果たし、1624(元和10)年には対馬藩主宗義成によって本堂が改建された。

 幕末期から明治にかけては廃寺同様の荒れ果てた状態で、後継住職の当てもなくこのままでは法灯も絶え、塔堂伽藍(がらん)も朽ち果ててしまうと、門徒の誰もが心配する状態だった。

 そんな大興善寺に「荒れている寺がよい」と、自ら希望して若干19歳の青年僧、玉岡誓恩師が入山したのは1871(明治4)年のことである。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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