現在の伊万里駅。左がJRで右がMR。かつて1本のレールでつながっていたが、伊万里市が道路を通すために分断した

JRとMRの線路がつながっていた頃の伊万里駅を「駅裏」から見た風景(伊万里市役所提供)

駅周辺のまちづくりへの思いを語る前市長の塚部芳和さん=伊万里市の市駅ビル

 JR筑肥線の終点となる伊万里駅は、構内で線路が行き止まりになる。有田、佐世保方面に向かう松浦鉄道(MR)の駅は、歩道橋を渡った向こう側にある。かつては一つの駅舎で線路もつながっていたが、市が2002年、道路を造るために分断した。

 「反対、反対。至る所から反対されましたよ」。線路を切った張本人である前市長の塚部芳和さん(68)は当時を振り返った。

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 駅の南北をつなぐ道路の整備は、市の長年の懸案だった。昭和42(1967)年の大水害を受けて伊万里川を拡張した際、市は「駅裏」に集団移転した住民に一帯の開発を約束した。しかし、肝心の道路を造るには、線路を高架で跨(また)ぐか、地下道でくぐるかしなければならず、予算はなく計画は行き詰まっていた。

 そこで線路を切り取るという大胆な案を思い付いたのが、市の都市開発課長補佐だった塚部さんだった。JRとMRは昭和63(1988)年の経営分離後も線路はつながったままだったが、双方の乗り入れはなかった。「踏切を増やさないという道路行政の原則を考えれば、これしか方法はなかった」。塚部さんは勇んでJR九州に持ち込んだが、担当者から「線路を切るなんて、私たちの体を切るようなものだ」と提案書を投げ返されたという。

 長崎県側のMR沿線自治体や経済団体も反発した。線路が切れれば、地域の観光浮揚のために模索していた福岡への直通運転の望みが絶たれる。また、松浦線同様に赤字路線の筑肥線山本-伊万里間も、将来的にはMRが受け皿になるという関係者の思惑があった。

 計画は再び壁にぶつかったが、提案を突っぱねていたJR九州が容認に転じたことで前進する。「専修大の理事長室に行って山下徳夫さんに陳情しました」と塚部さん。地元出身の衆院議員だった故・山下氏は、運輸相を務めて国鉄民営化に尽力し、JRに影響力があった。

 市の道路整備のために線路を切るという難事業は、大物政治家も動いてようやく実現した。そしてそれは、地方の車社会が進展し、まちづくりの骨格が鉄道から道路へシフトしたことを象徴する出来事だった。

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 線路が分断されたその年、塚部さんは市長選に初当選し、道路の両脇に立つ二つの駅ビルの落成式は市長として臨んだ。その後、駅周辺の一体的な開発が進み、「駅裏」もにぎわうようになった。ただ、中心市街地全体を元気にするまでには至らず、むしろ寂しくなる方へと進んでいる。

 今年4月、駅ビルのリニューアルイベントで、市長を退任直前の塚部さんがあいさつをした。「駅はまちづくりを進める上で一番大切な場所です」。駅がまちの顔であることは、今も変わらない。多くの人を引きつける魅力ある顔にしてほしいと、次の世代に期待している。

 ■松浦鉄道 昭和63(1988)年4月、赤字路線だったJR松浦線を引き継ぎ、民間と自治体が出資する第三セクターとして開業した。有田駅から伊万里駅、たびら平戸口駅(長崎県平戸市)を経て佐世保駅に至る全長93.8キロを運行している。本社は佐世保市。愛称はMR。

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