「駅舎を大切に」と呼び掛ける鉄道ファンの貼り紙=伊万里市大川町のJR肥前長野駅

鉄道開通時に建てられ築80年を越えるJR肥前長野駅の木造駅舎。隣に堀田政太郎氏の石碑が立つ=伊万里市大川町

「駅舎を大切に」と呼び掛ける鉄道ファンの貼り紙を見る堀田民一さん(右)と前田和彦さん=伊万里市大川町のJR肥前長野駅

 JR大川野駅(伊万里市大川町)を伊万里方面に出発した列車は、スピードを上げる間もなく肥前長野駅に着いた。ホームに降りると、目の前に古い木造の駅舎と大きな石碑があった。「堀田政太郎翁功労碑」と刻まれている。

 堀田氏は大川村が地域を挙げて鉄道を誘致した際の中心人物で、石碑は開通翌年の昭和11(1936)年に建てられた。肥前長野駅の近くに生家があり、地元では今も3月に石碑の前で祭りが行われる。

 大川野駅がかつて石炭の積み出し駅だったのに対し、肥前長野駅は特産のナシの出荷拠点だった。シーズンになると駅員は小荷物の発送作業に追われ、早朝のホームは福岡や唐津へ行商に向かう女性たちでごった返した。

 「ナシの入った竹かごをてんびん棒で担いでね。耕運機の荷台に乗って隣の南波多からも来よらした」と堀田民一さん(84)。自動車が普及する前の昭和30年代まで、その数は100人を超えていたという。

 ただ、シーズンを除けば駅の利用者はさほど多くなく、車の普及や人口流出とともに減り続けていった。

 昭和45(1970)年3月、国鉄は膨大な累積赤字を解消するための合理化計画を発表した。赤字路線の筑肥線は、東唐津-伊万里間14駅のうち10駅を無人化する案が示された。沿線では地域の衰退を招くと反対運動が起き、肥前長野駅の前には「地元住民をバカにするな」などと書かれたむしろ旗が立ち並んだ。

 住民が土地の提供もして必死の思いで誘致した鉄道を、一方的に整理縮小することへの反発だった。「これを許したら将来の廃線につながるという危機感もあった」(堀田さん)。地域と事業者の関係は、現在の減便問題と重なる。

 反対の声は自治体や議会を動かし、労組とともに激しい運動を展開したが、国鉄も後に引かなかった。突然の計画発表から7カ月後、無人化は実行される。

 無人駅となった駅舎が次々と解体されていく中、肥前長野駅は地元の長野区が買い取った。「政太郎さんの地元だから簡単に壊すわけにいかんもん。でも、誰も管理する人がおらんで朽ちるに任せとった」と駅の隣に住む前田和彦さん(66)。もう取り壊そうかという話が出てきた時、思わぬ事が起きた。

 傷みが激しいながらも開業時の雰囲気を残す駅舎が、鉄道マニアの目に留まった。今では貴重とも言える古い電灯やベンチ、石炭ストーブ…。インターネットで話題になると、レトロブームも相まって全国から人が訪れるようになった。

 地元としては壊すこともできなくなり、3年前に住民の手で外壁や窓を修繕した。今は天井のたわみが目立つようになった。「あんまり手を入れても鉄道ファンは喜ばんやろうし。地域のためにもなるような、よか活用方法はなかろうか」。前田さんたちは考えを巡らせている。

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