「妹(いも)が見し屋前(やど)に花咲き時は経(へ)ぬ わが泣く涙いまだ干(ひ)なくに」。万葉集に収められたこの歌は、歌人大伴家持が先立った妻をしのび、泣きながら詠んだもの。「妻が見たわが家の庭の花は咲いて、時はたってしまったのに、私の涙はいまだに乾くことはない」◆かけがえのない連れ合いの死から立ち直るには誰でも時間がかかる。こんなに悲しい思いをするくらいなら、いっそ自分が先に…。万葉の時代から、一番身近な人に先に逝かれるほどつらいものはなかったのか、山上憶良にも、まったく同様の挽歌(ばんか)がある◆このところ著名人の訃報が続くが先日、45年連れ添った女優朝丘雪路さん(享年82)の死について夫津川雅彦さん(78)が淡々と「僕より先に死んでくれたことに感謝です」。「先に死んでくれて…」に一瞬、ドキッとした◆だが、数年前からアルツハイマー型認知症で療養していた妻を介護していたという津川さん。自身も酸素吸入のチューブを装着し万全な体調ではない様子だったが、その言葉は、妻の介護からの解放感が言わせたのではなく、「妻を残して先に死ぬよりは…」という切なる思いの発露だったろう◆夫婦が先を競って死ぬことはないが、いつの時代も“先か後か”の苦しみは、その死に直面した人が逃れきれない悲しい、だが美しい“嘆き”なのである。(賢)

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