大正初期に建てられたとされる建物は、和洋折衷の造りになっている=小城市三日月町

南側から見た建物。斬新でおしゃれな一面もある

■和洋折衷斬新な造り

 小城市三日月町織島は、天山の彦岳周辺の山麓から平野にかけての比較的広い地域に位置しています。九州治乱記によれば、1570(元亀元)年、大友勢の佐賀侵攻の時、鍋島直茂は今山の西方藤折村から山中に入り、今山の背後にて大友軍への奇襲に成功したと記されています。織島の大地町宿は、尼寺や中極を経て小城町に入る神埼往還の宿場であったといわれています。

 この建物は擬洋風建築といい、大正初期に建てられたといわれています。擬洋風建築は明治時代初期のわが国において主に近世以来の技術を身につけた大工棟梁によって設計、施工され、洋風、和風の要素が混合され、日本各地に建てられました。このような建築を一方では和洋折衷と呼んでいます。

 和洋折衷はさまざまな意匠や工法が交じった建築物で、近代化の象徴的な存在として学校や病院、ホテル、銀行、役所など数多く建てられましたが、今日ではその多くが取り壊され、自然災害や火災などで失われ、ほとんどその姿を見ることはできません。

 この建物は大正時代の世相と雰囲気を今に伝える貴重な建築物です。その印象的なデザインと雰囲気は、現代において、むしろ斬新でおしゃれな一面もあります。この先も大切に保存されることを念じつつ、帰路につきました。

このエントリーをはてなブックマークに追加