■国債は「国民の投資」

 「ひろば」読者の声欄に伊万里市の高木克巳様の投稿「安楽死はなぜ認められないの?」(16日)、読者と記者の交差点に「混同される安楽死」(27日)が掲載されました。
 時々、新聞やテレビなどで老々介護に疲労し、不幸にも殺人まで及んでしまった事件が報道されます。人生の最期は個人の自由を最大限に尊重し、自己決定に委ねられるべきではないでしょうか。終末期の患者の苦しみを和らげるための安楽死ではなく、「人生を離脱する権利」を認めてほしいと思います。
 オランダでは「一定の年齢に達したら、病気などの事情がなくても、自分の死は自分で決める」という究極の自己決定権まであと一歩のところまできているそうです。あるアンケート調査によると、日本人の7割以上が安楽死に賛成で、ポックリ逝きたいと思っています。
 いずれ高額の医療費は自己負担とされ、貧富の差が社会の分断を生み、高齢者の安楽死が国家主導で進められることになるかもしれません。そんなことになる前に、国民の総意で「人生の自己決定」のルールを決めるべきではないでしょうか。尊厳死というやっかいな問題から目を背け、尊属殺人、首つり、飛び降り、入水、中毒死などの悲惨な死に方しかできない現実を置き去りにしてきました。
 昔見た洋画に、家族に見守られながら縁先に置かれたベッドで穏やかな表情で別れを告げ、薬を飲むラストシーンがありました。今も脳裏に刻まれています。人生の最期をどう迎えるか、議論を深める記事を期待します。
 12日の紙面に「地上配備型イージス 巡航ミサイル迎撃にも」との見出しがありました。記事によると、野党は専守防衛がなし崩しになりかねないと懸念、防衛費が通常国会の論戦テーマになるのは確実とみられます。小野寺五典防衛相は「専守防衛に反しない」と主張、安倍晋三首相も「国民の理解は得られる」と自信を見せていますが、立憲民主党は「まやかしだ」と批判しました。憲法解釈で何とかしのぎ、総理が言う「国民の命と平和な暮らし」を守っているのが現実ではないでしょうか。
 プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化目標が掲げられています。それで政府は必要な予算措置ができるのか? 日本国民の生命や財産を守るために防衛費を増額できるのか? しわ寄せに他の装備、自衛隊員削減などにつながらないのか? 国民の生命財産、社会保障制度は、政府が守らなければ誰が守るのか?
 見方を変えれば、国債は国の借金ではなく、政府の負債であり、国民の金融資産、国民は債権者なのです。国債のデメリットばかりが伝えられていますが、必要なお金は国民から投資してもらい、国民総生産のアップで結果として分け前(所得)を増やしてほしいです。国の歳入は税金ではなく国民からの分配金、国民が豊かにならないと分配金も多くなりません。「国民を豊かにする」。それが政府の仕事だと思います。=1月分=(きのした・たけふみ、みやき町)

このエントリーをはてなブックマークに追加