自宅周辺を走る吉冨博子選手=佐賀市富士町

 30代になってフルマラソンの大会記録を次々と塗り替えている女性ランナーがいる。佐賀市の吉冨博子選手(メモリード)、34歳。この1年間、3月のさが桜マラソンなど国内三つのレースで大会新記録を樹立した。「年齢的に記録が出せるのもあと数年。そう思って走ったら、自然と結果が付いてきた」。今季で引退も考えていたが、現役続行を決意した。

 ランニングの普及・発展に取り組むアールビーズスポーツ財団(東京)の「マラソンチャレンジカップ(MCC)」に参加する33の市民マラソン大会のうち、昨年度は19大会で23の大会新が生まれた。そのうち一人で複数の新記録を出したのは吉冨選手だけだ。

 大会新のほかにも、昨年12月のホノルル・マラソン(米)や今年2月の東京マラソン、4月のボストン・マラソン(米)はいずれも日本人最高位でゴールした。MCCの金城栄一事務局長(50)は「吉冨選手は全国的に見ても突出している」と評価する。

 メモリード(長崎)に所属しているものの、練習は佐賀市富士町の実家周辺を1人で走る。アップダウンの激しい山道を1日20キロ走り、大会前や体調次第で50キロ走ることもある。昨年末から東京マラソンまでは毎週のようにレースに参加し、「本番が一番の練習になった」と実戦を糧にした。練習前は花の栽培のため熱のこもるビニールハウスで1日を過ごし、自然と心拍数が上がるという。

 本来全盛期となる20代は、心身ともに走りに集中できない日々が続いた。2002年、鹿島実業高を卒業後、サニックス(福岡)に入ったが、故障で足が思うように上がらなくなり2年で退社した。「走りたいけど走れない。でも、走るのは好き」。実家に戻っても走りへの情熱は消えず、06年、当時サニックス監督の重松森雄さん(77)の呼び掛けで復帰した。しかし半年後、業績悪化のため陸上部が廃部に追い込まれた。

 再び実家に戻って1人で走り、09年からは重松さんの立ち上げたランニングクラブに入った。仲間と走る喜びをかみしめていたその翌年、二つ上の兄・正徳さんを亡くした。「走るのを辞めたいと思ったことは何度もあった。それでも仲間と走ったら楽しいし、結果を出せた時に辞めなくてよかったと思う。それを繰り返してきた」

 ひたむきに走り続け、重松さんの紹介で2年前からメモリードへ。家業を続けながら練習できることや遠征費の支援が約束され、30代でようやく競技に打ち込む環境が整った。

 2月の東京マラソンは2時間30分16秒の自己ベストをマークした。「記録が出たからもう少し続けようと思えた。何とか目標の30分を切らないと」

 「きっと30分を切れる」。苦しいとき、いつも背中を押してくれた重松さんに掛けられた言葉が、今も闘志を駆り立てる。充実した走りを見せる遅咲きのランナーは6月、スウェーデンでストックホルム・マラソンに挑む。

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