建造から半世紀。唐津のランドマークとなった唐津城天守閣

■感じるは太閤の息吹か

 日本各地に多くの城跡がある。400年を超える昔から天守閣が遺(のこ)っているものもあれば昭和の高度成長期にやぶから棒に建てられたところも。賛否両論はあるとして、街のランドマークとして「天守閣のある城跡」というのは一定の意義があるように思われる。

 さて、唐津城、である。天守閣の存在は立証されていないが、昭和41年、ちょうど50年前に「慶長年間に天守閣はあったのでは」という想定のもとに建造された。満島山の頂上に在るその姿は街に馴染(なじ)み美しい。故事に倣わずに建てられた数多の天守閣の中でも、唐津のそれは希有(けう)な成功事例ではないだろうか。

 城は豊臣秀吉の近臣だった寺沢広高が関ケ原合戦後に築城した、とされる。その際に松浦川の流路替えをはじめ大規模な区画整備が行われ、今の唐津の原型が作られたようだ。旧城下の町割り(区画)もほぼ当時のまま遺っている。近年の研究では唐津城築城期は1602年説より遡(さかのぼ)る文禄慶長の役のタイミングかと語られるようになってきた。これが事実であれば、唐津は豊臣秀吉の息のかかった町、ということになる。そう、「けいらん」や「太閤道」をはじめ、故事に依る名物や史跡が多数在ることを思い起こしてほしい。

 足を延ばせば国の特別史跡名護屋城跡、さらにはそこに参集した諸大名の陣跡が手つかずで遺る。九州において桃山期を色濃く遺す町は唐津をおいて他にはない。唐津焼もかの時代の産物だ。

 豊かが故か、かの地の人はその希少性に気がついていないように思える。「待っていれば人が来る」という時代は過去のもの。観光戦略における旧習に捉われない、時代性を伴った磨き上げを行う。このタイミングでの、そんな一歩がこの町の将来をさらに明るく照らすよう思われてならない。(村多正俊)

 むらた・まさとし 東京都出身、世田谷区在住。ポニーキャニオン勤務。唐津に魅せられ、その魅力を新聞、雑誌、ブログを通じて発信している。49歳。

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