23日に死去した井本勇元佐賀県知事(2002年9月撮影)

 佐賀県知事を3期12年務め、佐賀空港の開港などに尽力した井本勇(いもと・いさむ)氏が23日午後1時8分、急性循環不全のため佐賀市嘉瀬町の県医療センター好生館で死去した。92歳。唐津市出身。自宅の住所は非公表。通夜は26日午後7時から、葬儀・告別式は27日正午から佐賀市東佐賀町のリバース典礼会館東佐賀で。喪主は長男裕(ひろし)さん。

 井本氏は1947年に県庁入りし、秘書課長や漁港課長、総務部長などを歴任した。82年12月からは副知事を8年務め、県議会対策に加え、佐賀空港や嘉瀬川ダム建設で地元交渉の陣頭指揮を執るなど手腕を発揮した。91年4月、香月熊雄知事(故人)の引退に伴う知事選で初当選した。

 行政を熟知した県庁たたき上げの知事で、「住みたい県日本一」を掲げた。在任中には県立名護屋城博物館開館や佐賀空港開港、吉野ヶ里遺跡の公園化などの大型プロジェクトを実現させ、2期目の96年には西松浦郡有田町をメイン会場とする世界・焱(ほのお)の博覧会を開催した。

 日韓交流にも積極的で、2001年1月には文化観光部長官から日本の自治体トップとして初の感謝牌を贈られたほか、翌02年には韓国大統領修交勲章崇礼(スンネ)章を受章。県立の博物館を無料化するなど文化行政にも貢献した。

 3期目の任期満了に伴い03年4月に退任し、同年11月に旭日重光章を受章した。翌04年1月には佐賀清和学園理事長に就任し、県私立中学高等学校協会の会長を務めるなど、県内の私学振興に尽くした。

 知事在任中の1993年から97年度にかけては、県が裏金づくりのため多額のコピー機使用料を水増し支出していた問題が発覚した。2003年に破綻した佐賀商工共済協同組合の問題では、粉飾決算を把握しながら対策を講じなかったとして責任が問われた。

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