知事を退任し、大勢の職員に見送られる井本勇氏=2003年4月22日

1998年の開港を目指し、旧佐賀郡川副町で建設が進む佐賀空港を視察する知事時代の井本勇氏(帽子)=(1994年撮影)

佐賀空港の総合案内カウンターで、空港に関する要望や意見を聞く知事時代の井本勇氏(1998年撮影)

 県庁人生56年。強いリーダーシップで佐賀県政を3期12年にわたり引っ張った元知事の井本勇氏(92)が23日、死去した。県内関係者は、生え抜きとして県政を知り尽くした「強い知事」という印象に加え、日韓友好に尽力する姿や中高生の育成に力を尽くした歩みを振り返り、死を悼んだ。 

 「悲しい思いでいっぱいです」。山口祥義知事は、自らの後援会名誉会長を務める井本氏の訃報を悔やむコメントを出した。戦後間もなく県職員になり、県政に残した功績は枚挙にいとまがないとし「公私にわたってご厚情を賜っており、誠に痛恨の極み」。

 井本氏から県政を引き継いだ前知事の古川康衆院議員は「いろいろあっけど、よかごとせんね」と就任当時に掛けられた言葉が忘れられないという。「佐賀のことを隅々まで熟知した、深い理解のある人だった」と惜しんだ。

 井本氏の知事就任と同じ1991年に県議になった留守茂幸議員は「職員からのたたき上げで議会ともいい関係だった。知事時代の功績は大なるものがあり残念」。佐賀市の秀島敏行市長は「県民から圧倒的な支持を受けた強い知事」という印象を語り、困難を極めた佐賀空港開港などの実績をたたえた。

 県職員OBで井本知事時代に教育長だった松尾正廣さん(75)は「厳しい人で、予算査定の時は『現場を見たか』とよく言われた」。日韓友好にも関心が強く「『国同士が難しくても民間や地域同士ならうまくいく』とおっしゃっていた。名護屋城博物館建設にはそんな思いがあった」。

 2期目の96年には、西松浦郡有田町をメイン会場に「世界・焱の博覧会」を開いた。人間国宝の陶芸家・井上萬二さん(89)は「焼き物を県の伝統的産業としてしっかりアピールしてくれた。窯業の発展に尽くしてくれた」と話した。

 前県商工会議所連合会会長の指山弘養さん(78)は「佐賀を日本一の県にしようと情熱的に取り組む姿勢が印象的だった」と述懐する。井本氏が開港に尽力した佐賀空港は2017年度、初めて建設時の年間需要予測を超えたが、搭乗率が伸び悩んだ時期も「今にきっと良くなる」と言い続ける姿に励まされたという。

 「大会前にはいつも声を掛けてくれて、選手たちをその気にさせてくれた」。佐賀女子高校新体操部の元監督で県体育協会役員を務めた光岡三佐子さんは、井本氏が県体協会長として選手たちを激励したことを懐かしそうに振り返った。

 知事退任後は、学校法人佐賀清和学園の理事長を務め、中高生の成長を見守った。佐賀清和中学・高校の陣内恵二校長(59)は「7日の入学式で式辞を述べていただいた」と突然の訃報に驚き、「文化活動やスポーツで活躍した生徒は理事長室に呼んで直接声掛けをしていた」としのんだ。

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