勝尾城の「物見岩」から島津勢が本陣を構えた久留米市の高良山、筑紫平野を見晴らす遺跡見学会参加者=2016年4月、鳥栖市の「城山」山頂

 1586年の薩摩・島津勢の侵攻によって焼き尽くされた、勝尾城(かつのおじょう)下内の新町(鳥栖市山浦新町)の町屋跡からは焼け焦げた土や柱穴、火縄銃の弾が見つかった。同時に出土した陶磁器類は16世紀後半のものだった。筑紫氏の館跡では主殿や庭園などを確認した。

 山頂の勝尾城周辺では有力者でなければ手に入らなかった輸入品の天目茶わんも見つかった。当時の大名たち同様に、茶の湯を楽しんでいたことが分かった。

 勝尾城筑紫氏遺跡が国史跡に指定された2006年の10月、鳥栖市は福岡市で記念シンポジウムを開いている。

 戦国時代の城下町の多くが都市開発などで失われていく中で、城下町全体が当時の姿のまま残っていることは全国的にも極めて珍しく貴重だった。シンポはこの鳥栖の誇る文化財を全国に発信するとともに、まちづくりに生かそうという試みだった。

 記念講演をしたのは、福岡県八女市出身の歴史小説家、安部龍太郎さん(13年「等伯」で直木賞受賞)。シンポ前に遺跡を訪ねている。城下町防衛の最前線の支城・葛籠(つづら)城(標高126メートル)で敵の侵入を防ぐために巡らせた二重の長大な空堀(幅、深さともに約5メートル、長さ700メートル)を目の当たりにし、勝尾城跡にも登った。

 このときの感慨をシンポの冊子に「戦国末期の筑紫広門(ひろかど)(最後の城主)のころに、筑紫氏はなぜこれほどの発展を遂げることができたのか。島津の北上と豊臣秀吉の九州征伐という一族の命運がかかった状況を、どのように乗り切ろうとしたのか」と寄せている。

 山城好きで知られる落語家、春風亭昇太師匠は「山城歩き 徹底ガイド」(洋泉社)の巻頭インタビューで、同誌掲載の城の中から、お薦め3城の一つに「勝尾城と支城群」を挙げている。師匠は「この城のポイントは山麓の屋敷跡や周囲の支城、城下を囲む総構えまですべてそろっていること。支城の一つである葛籠城の、二重の堀に守られた単純だけど機能的な縄張り(配置・構成)に圧倒されました」と語っている。

 山城は全国に数万あるといわれるが、勝尾城は福井県の朝倉氏五代の城下町遺跡「一乗谷(いちじょうだに)朝倉氏遺跡」と並び、戦国時代を代表する遺跡として名高い。

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