八並金丸遺跡の環壕跡(石室は後世のヒャーガンサン古墳)

 鳥栖市と基山町にまたがる八ッ並金丸遺跡は、郡役所にともなう倉庫跡群のほか、この地域の母村とも言うべき、古い集落跡も確認されています。

 弥生時代前期(約2300年前)の住居跡15軒が見いだされましたが、後世のお墓や住居跡などで削られているため、実際はもっと多かったのではないかと報告されています。稲などの作物を貯蔵する貯蔵穴は251基もあったことからも想像されます。

 また、木棺墓(もっかんぼ)や土壙墓(どこうぼ)を中心とした墓地もあり、弥生時代の古くから八ッ並丘陵には人々が住みついていたようです。

 丘陵の最も高い所には、直径11メートル強ほどの小さな環壕(かんごう)が見つかり、中には住居跡1軒と貯蔵穴2基があり、例えば外敵を見張ったのか、お祭りを行ったのか、あるいは首長が住んでいたのか、などが考えられる特別な場所だったようです。(鳥栖市誌第2巻参照)

(鳥栖郷土研究会会長・藤瀬禎博)

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