搦手口から中腹に残る石垣、山頂の勝尾城主郭を望む。山中には石垣をはじめ戦国時代の遺構が数多く残る

 戦国時代、合戦における勝負の決め手は兵力と食料、そして「水」でした。現代の私たちは蛇口をひねれば水が出てきますが、400年前は大変な苦労がありました。

 鳥栖地域を代表する戦国時代の山城・勝尾城(かつのおじょう)は、標高501メートルの城山(じょうやま)の山頂に築かれていますが、井戸の跡などは見つかっていません。

 武雄市にある江戸時代の記録では、本丸の南に出水があったと記されており、同じ江戸時代に描かれた「古戦古城之図」には谷から樋(とい)で水を引いていたことが記されています。

 いずれにせよ、険しい山上で水を確保するのは大変だったようです。勝尾城は天正14(1586)年に薩摩の島津氏に攻撃されて落城するのですが、地元では「水の手を切られたために落城した」「水の手を絶たれた筑紫勢が馬の背に米をふりかけて島津勢を欺いた」など水にまつわる伝承が残っており、当時の戦いの様子を伝えてくれています。

 今月22日には国史跡・勝尾城筑紫氏遺跡の見学会が行われます。戦国時代の面影を訪ねてみてはいかがでしょう。問い合わせは市教委、電話0942(85)3695。

 (地域リポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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