三瀬諸淵とたか(大洲市立博物館提供)

 長崎出島のドイツ人医師シーボルトの娘「オランダおいね」は、楠本いねのこと。たかはその娘、つまりシーボルトの孫にあたります。

 慶応2(1866)年、15歳(数え年)でシーボルトの弟子で、現在の愛媛県の大洲藩の医師三瀬諸淵(みせもろふち)と結婚しましたが、明治10(1877)年に三瀬は亡くなり、一時、産科医の道を志しますが、2年後に山脇泰介と再婚します。

 山脇は大審院長を務めた山脇玄の弟で、長崎医学校教諭と長崎県立長崎病院副院長を兼務した優秀な医師でした。明治16年、武雄の医師石井玄庵が中心となり明治12年に武雄に設立した柄崎病院の院長として赴任、たかは長女たきを武雄で出産しました。翌年、たかの母いねも武雄に呼び共に暮らそうと、山脇は手紙を書き送っています。

 しかし、明治19年、山脇が36歳(数え年)で他界したため、たかは叔父のハインリヒ・フォン・シーボルトの世話を受け、その後、東京で母らと共に暮らしたといわれます。

 武雄で暮らしたのは数年でした。しかし、かつてシーボルトが出島商館長の江戸参府に同行して武雄を訪れ温泉を楽しんだように、孫のたかも武雄の湯で心身を癒やしたことでしょう。

 たかの美貌に魅せられた漫画家松本零士が「銀河鉄道999」のメーテルや「宇宙戦艦ヤマト」のスターシャのモデルにしたという話は有名です。

(武雄市図書館・歴史資料館 川副義敦)

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