完成間もない1965年ごろの鳥栖ビルと駅前の様子=鳥栖市京町(鳥栖倉庫提供)

結婚式場オープンを宣伝するチラシ(鳥栖倉庫提供)

中央やや右寄りの建物が鳥栖ビル。その上方の広大な敷地と建物群は専売公社鳥栖工場(現在のフレスポ鳥栖)、左下は鳥栖駅=1967年11月下旬の鳥栖駅周辺(鳥栖倉庫提供)

正面が解体中の鳥栖ビル。3階部分の取り壊しが進む。右手前が鳥栖駅=2018年4月3日

 佐賀県鳥栖市のシンボルとして半世紀にわたり親しまれてきた「鳥栖ビル」の解体工事が進んでいる。跡地は市による駅周辺整備で駅前広場に生まれ変わる。当時珍しかったエレベーター、地下街、スーパーマーケット、結婚式場がそろい上層階は高級アパートだった。憧れを持って見上げていたビルが日ごと消えゆくさまに、往時を懐かしむ声が上がっている。

 地元の物流会社、鳥栖倉庫(同市藤木町)の創業者で初代社長の笠井定雄さだお氏が東京オリンピックのあった1964(昭和39)年に着工、翌年完成させた。地上7階、地下1階、延べ床面積6600平方メートル。高さ28メートルと県内随一の高さを誇った。

 会社は新しい倉庫を建てたばかりで大型投資は厳しかったが、市民の要請もあり、笠井氏は「駅前を活性化したい」との一心で建設に踏み切ったという。

 64年5月発行の市広報紙「とす市報」は「鳥栖駅前にビルが着工」と高らかに伝えている。1903(明治36)年に現在地に移された駅の周辺は再開発が遅れていた。その市報には「長い間発展から取り残された一角でしたが、今回のビル建設が大きな転換期(になる)」と市都市計画課長の談話が掲載されている。

 計画段階で“笠井ビル”とされていたビル名は、笠井氏が「市民のために建てるのだから」と「鳥栖ビル」に変更。一方で、ビル建設は予想通り会社にとって大きな負担となり、社員の給料が遅配しそうになったこともあったという。

 地下は飲食店、1階にスーパーマーケットがオープンし、2階に専門店やレストラン、商工会議所など、、3階には結婚式場ができた。4階以上は高級アパート36戸。その宣伝文が面白い。駅までの近さを「エレベーターを完備している(階段を使わずに済む)ので1分とかからない」とし、「にわか雨が降ってもちょっと走っていただけば傘も要らない」と書いている。

 創業者の孫で、鳥栖倉庫取締役の笠井俊樹氏(75)は新婚のころ住んでいた。「見晴らしが利いてトイレは水洗。風がよく通るので夏も涼しかった」

 エレベーターを初めて見る子どもたちがいつも遊びに来ていた。市内の会社員(58)は「小学生の時、校長先生が『あのエレベーターで遊んじゃいけない』と注意されていた」と懐かしがる。

 鳥栖商工会議所専務理事の古賀久登さん(67)は74(昭和49)年、ここで結婚式を挙げた。「鳥栖ビルは鳥栖のステイタスだった。妻との門出にふさわしいと選びました」

 昨年11月から始まった解体工事は3階を取り壊し中。6代目社長の山下幹夫氏(63)は「引き継ぎで『ビルと土地は市の役に立つように使え』と遺言のように伝えられてきた。やっとそれを果たせる」とホッとした表情だ。

 笠井取締役は完成時の写真を見ながら「解体が完了したら祖父(創業者)の墓前に遺言通りにしましたよ、と報告に行きたい」と話している。工期は10月末までの予定。

このエントリーをはてなブックマークに追加