憲副賀島君碑=鳥栖市田代本町

 藩政期、基山町全域と鳥栖市の北東半分を治めた対馬藩の賀島兵介かしまひょうすけ(1645―1697)をしのぶ賀島祭が、兵介の命日に当たる9日午前11時45分から、鳥栖市田代本町の太田山安生寺隣接地の「憲副賀島君碑」前で催される。

 兵介が対馬藩田代代官所佐役(副代官)として赴任したのは75(延宝3)年。当時30歳の彼は領民に倹約を諭し生活の安定、産業の振興などに尽力した。「憲副賀島君碑」建碑後の1802(享和2)年、「墨直し」として始まった賀島祭は、廃藩後中断したが78(明治11)年、関係町村の輪番制で再興。1954(昭和29)年以降は基山町が祭主となっている。

 当日は松田一也基山町長、橋本康志鳥栖市長、比田勝尚喜対馬市長など関係者が憲副賀島君碑に玉串を供え、賀島公を慰霊する。

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