今年は明治維新150年。今月17日には「肥前さが幕末維新博覧会」が開幕しました。新聞を通じて地域の歴史を学ぶ「さが維新塾」。本紙記者による今回の出前授業は青嶺中(伊万里市)の2年1、2組です。

2年1、2組の皆さんと原康史先生(後列左端)

 

「七賢人1人も知らぬ」ゼロに

【きょうの教材】永遠に輝け佐賀の星たちよ 佐賀の七賢人たち

(連載第1回の記事=2011年2月16日付 佐賀新聞)

 2011(平成23)年2月16日から4月24日まで66回にわたり佐賀新聞の地方面に連載。幕末維新期に活躍した佐賀の七賢人(鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信)の生涯を紹介した。NIE(教育に新聞を)の一環として、主に児童・生徒向けに「声に出して読む伝記 音読で脳力アップ」のタイトルを付けて連載した。出典は佐賀青年会議所が1982(昭和57)年に監修・発行した「永遠に輝け 佐賀の星たちよ」。


七賢人1人も知らぬ25% 佐賀市アンケート(17年9月7日付 佐賀新聞)

 佐賀市が市民500人を対象に「佐賀の七賢人」の知名度を調査したところ、7人全員の名前を答えられた人は10.2%で、逆に1人も答えられなかった人は25.4%だった。
 調査は明治維新150年事業の参考にしようと、市が初めて実施。8月に佐賀市内の2カ所で10~70代に七賢人のフルネームを口頭で答えてもらったところ、7人全員の名前を答えた人51人に対し、1人も答えられなかった人は127人。10代、20代が答えに窮した。
 正答率は大隈重信が64.2%。以下、佐野常民42.2%、江藤新平39.4%、鍋島直正38.6%、副島種臣27.4%、島義勇20.6%、大木喬任16.2%だった。

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班に分かれて、「佐賀の七賢人」についての壁新聞作りを行った=伊万里市の青嶺中

原康史先生 数年前の佐賀新聞の連載記事「永遠に輝け 佐賀の星たちよ 佐賀の七賢人たち」を使って七賢人についての壁新聞を作ります。班に分かれて7人それぞれの「歩み」「業績」「人柄・エピソード」を記事から抜き出して、台紙に張っていきます。時間内にまとめることができたら、自分たちが調べた人物について、最も伝えたいと思ったことを発表します。作業に入る前に、佐賀新聞社の江島貴之記者に七賢人について話してもらいます。
江島貴之記者 現在「佐賀の七賢人」と言われる7人(鍋島直正、島義勇、佐野常民、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信)を、「佐賀の偉人たち」として、まとめて取り上げるようになったのは昭和の初期からで、7人の写真が載った本が出されています。でも、この7人を「七賢人」と呼ぶようになったのは、実は昭和56(1981)年ころからです。
 この7人は、全員が佐賀藩の人間で、今で言う「佐賀市」の出身ということになります。いずれも明治時代に日本の国づくりに大きく貢献した人たちですが、この中に唐津藩の人は入っていません。明治時代に活躍した佐賀県の人たちには、唐津や、この伊万里出身の人も大勢います。今日の学習をきっかけに、七賢人以外の偉い人たちについても興味を持ってくれたらと思います。
 7人の中で、1人だけほかの人たちと違う人がいます。鍋島直正という人ですが、どこが違っていると思いますか。
生徒1 鍋島直正は藩主でした。
江島記者 そうです。直正は藩主で、あとの6人は直正が育てた人材です。さらに、直正以外の6人は明治になって政府に入り、国づくりに活躍しましたが、直正は佐賀に残ることを選びました。
 佐賀市の徴古館という博物館の富田紘次学芸員を取材した時に、富田さんは「直正公は日本全体を佐賀から考えた。枠を簡単に飛び出すのではなく、藩主、外様大名という与えられた立場の中でどれだけ頑張るか。直正公の生き方はそういう意味で、現代に暮らす私たちにも示唆を与えてくれる」と話してくれました。直正のような人がいたことを知ることで、歴史を学ぶ意味が分かってくるのではないかと思います。
原先生 昨年9月7日の佐賀新聞の記事によると、佐賀市のアンケート調査で、七賢人を1人も知らない人が25%だったそうです。青嶺中では「1人も知らない」をゼロにしましょう。
(この後、各班で壁新聞作りを行い、時間内にまとめ終わった班が発表した)
生徒2 鍋島直正は、西洋医学を取り入れ、大砲や軍艦をつくって軍備を整えるなど、日本の未来を見据えてさまざまな改革を行いました。
生徒3 大隈重信の業績ですごいと思ったのは総理大臣に2度も就任したことと、早稲田大学を創設したことです。
生徒4 大木喬任は、佐賀新聞の記事では知名度が一番低いけれど、首都を移す意見書を出したり、文部卿になったりと、とても活躍したと思います。
原先生 歴史の授業でちょうど明治時代を学習しています。きょう調べたこともこれから出てきますので、その時は、きょうのことを思い出してください。壁新聞は後で張り出します。2年生は全部読んでください。


【授業を聞いて・みんなの感想】

藤尾 香凜さん
「佐賀の七賢人」全員の出身地が今の佐賀市に集中していることを、初めて知った。7人のうち6人は東京で活躍したが、鍋島直正だけは明治になっても佐賀に残ったと聞いて、どうして東京に行かなかったのだろうと思った。授業では江藤新平のことを調べたが、人身売買を禁止するなど、現代の人と考えがとても似ていると感じた。


杉山  潤さん
 「七賢人」のうち、大隈重信だけは名前を知っていたけれど、大隈がどんな業績を残したのかは知らなかった。僕も授業では江藤新平を調べる班だったが、記事には「自分の理想を貫こうと急ぎすぎた。じっくり考えて行動していれば、佐賀の乱(佐賀の役)で命を落とさず、もっと活躍できたかもしれない」といったことが書いてあり、江藤はせっかちな人だったのかなと思った。


【維新博 INFORMATION】

「オランダハウス」 ~未来に向けた新たな交流~

 幕末維新期の佐賀が西洋の技術を導入し、時代をリードするきっかけとなったオランダ。オランダと佐賀との未来に向けた交流拠点として、佐賀市呉服元町にある旧佐賀銀行呉服町支店およびその周辺を活用して、デザイン・水辺・食をテーマにオランダハウスを開設しています。
 オランダハウスでは、オランダのクリエーター6人が佐賀市内に滞在し、地域の人たちとともに、創作活動や展示会を行います。施設内のショップではオランダのおしゃれな雑貨が購入でき、併設されたダッチカフェではアップルタルトやストロープワッフルなど、オランダの軽食が楽しめます。
 また、建物横の水辺テラスでは、オランダと佐賀に共通して生活に根付いているクリークに、船着き場を設け、和船やカヤックの体験ができるようになっています(要予約)。ぜひ気軽にお立ち寄りください。オランダをより身近に感じていただけますよ。

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