杵島郡白石町から朝倉市の松末小学校に返還された門柱を背に、子どもたちと記念撮影をする田島健一白石町長(後列右端)=福岡県朝倉市の同校

 昨年7月の九州北部豪雨で福岡県朝倉市の松(ま)末(すえ)小学校から流出し、杵島郡白石町の有明海沿岸に流れ着いた門柱が24日、閉校式に合わせて返還された。地元の人たちは、70キロ離れた地で奇跡的に回収された学校のシンボルが約260日ぶりに帰ってきたことを喜び、復興の力に変えようとしている。

 白石町の田島健一町長らが、松末小の体育館での返還式に出席した。門柱は、同じ松末地区から白石町に流れ着いた石詰公民館の看板とともに運び込んだ。かぶせられた布が取られると、参加した住民から歓声が上がり、拍手が湧いた。

 門柱は高さ約3メートルの木製で「杷木町立松末小学校」と刻字されている。豪雨から6日後の昨年7月11日、白石町の有明海沿岸の導流堤内に浮いているのを町職員が見つけた。2日がかりで引き揚げ、朝倉市教育委員会に報告していた。

 中山間地にある松末地区では2本の河川が氾濫し、多くの住宅が浸水や全半壊の被害に遭った。248世帯のうち、仮設住宅など自宅以外で暮らす世帯が5日現在で4割を超える。児童や住民計54人が避難した松末小も、校舎や体育館に土砂が流れ込んで使えなくなり、別の小学校の仮設校舎で授業が行われてきた。

 式典で田島町長は「白石町でも7月4日から9日にかけて500ミリ近い雨が降った」と振り返り、被災地の恐怖を推し量った。その上で「思い出の門柱を所在地に帰還させることができ、ホッとした。復旧、復興が一日も早く完了することを願います」と励ました。また、大正期の朝倉市甘木地区からの出資で、白石町のレンコン栽培が始まった歴史にも触れ、「両市町で人的な交流も深まれば」と期待を寄せた。

 松末小の塚本成光校長は「数え切れない流木の中から門柱を見つけ、引き揚げてもらった奇跡に感動した」と話し、「門柱は学校の顔だが、豪雨のすさまじさを象徴するものにもなった。防災や安全を考える上で価値ある教材になる」と謝意を伝えた。門柱は当面、朝倉市博物館に水害を伝える品として展示される。

 松末小は1874(明治7)年に開校し、本年度の児童数は27人。他校との統合は被災前から決まっており、歴史に幕を下ろす年度に未曽有の水害に遭った。

 朝倉市が3月に策定した復興計画では、コミュニティーを立て直す手だてとして、松末小の跡地活用も検討項目に上がっている。閉校式で子どもたちは「悲しみを背負いながらも、みんなが生きていて良かったと思えるまちをつくっていきたい」と誓いの言葉を述べた。

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