芳谷炭坑の最盛期の姿や遺構を語る楢﨑幸晴さん=唐津市本町の旧唐津銀行

芳谷炭坑跡に建つ「追悼の碑」=唐津市北波多

 唐津市本町の旧唐津銀行で18日、北波多郷土史研究会の楢崎幸晴さん(76)が「幻の芳谷炭坑」の演題で講演した。明治期に全国有数の産炭量を誇った北波多の炭坑の軌跡を約50人が聞き入った。

 芳谷炭坑は土佐藩出身の竹内綱(つな)と長崎の高島炭坑の技術者だった高取伊好らが組んで経営権を取得。実質的な経営は綱の長男・明太郎が握った。最新機械を導入し、明治後期には従業員3千人超、炭坑立の小学校もあった。

 楢崎さんは、炭坑跡の山中に埋もれるように建つ1900(明治33)年の「追悼の碑」に注目。「四国の『阿波の青石』で、素晴らしい石が使われている」とし、「(その年まで)16年間経営し、466人の死者を出したことを居たたまれずにこの碑を建てた、と書かれている。歴史遺産として残さなければならない」と語った。

 唐津市は明治維新150年に合わせて唐津八偉人を選定。建機メーカー「コマツ」や唐津鐵工所(てっこうしょ)の創業者である明太郎は地元出身でないこともあって外れており、楢崎さんは「明太郎もぜひ顕彰してほしい」と呼び掛けた。市主催の明治維新記念事業の耐恒寮講座として開かれた。

 

 

 

「芳谷炭坑」探訪来月7日に開催 参加無料

 

 北波多の自然と歴史を守る会(石崎俊治会長)は4月7日午前9時半から、唐津市北波多岸山に遺構が残る「芳谷炭坑」の探訪会を開く。参加無料。

 県道52号沿いにある唐津市清掃センター入り口の三差路そばの広場に集合。芳谷小学校跡奉安殿、追悼の碑、供養塔、坑口、佐賀県初の石炭発見地を巡る。午前中に終了する。

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